みなさんはミャンマーという国をご存じですか? 東南アジアにある仏教国で、タイ、中国、インド、ラオスなどと国境を接しています。かつてはビルマと呼ばれ、日本とは深いかかわりがありました。「なるほど・ざ・ニュース」今回はミャンマーと同国の女性活動家・アウンサンスーチーさんをとりあげてみました。




ビルマとミャンマーって同じ国?

まったく同じ国です。1988年に時の政権がそれまでのビルマという国名をミャンマーに、首都をラングーンからヤンゴンにそれぞれ変更しました。ビルマとミャンマーはニッポンのことをジャパンと呼ぶのと同じ程度の違いです。余談ですが、日本ふうの発音ではビルマですが、欧米ではバーマーと発音します。ミャンマーの国土は日本のおよそ1.8倍。人口は約4600万人。人口の半分以上がミャンマー族(ビルマ族)でカレン族、シャン族などの少数民族のほか、インド人や華僑もいますが、国民の大部分は敬けんな仏教徒です。世界でも有数のコメ生産国ですが、年々工業化も進んでいるようです。


なぜミャンマーと呼ぶようになったの?

その理由はビルマの歴史が物語っています。第二次世界大戦前、イギリスの植民地となっていたビルマを、独立国にしようとひとりの将軍が立ち上がりました。アウンサンスーチーさんの父、アウンサン将軍でした。アウンサン将軍は、当時、中国との戦いがうまくいかず、焦っていた日本軍に協力することで独立を勝ち取ろうと考えました。将軍・日本軍両者の思惑が一致したわけです。その後、アウンサン将軍ら30人は日本軍から徹底した軍事訓練を受け「ビルマ独立義勇軍」を結成しました。1942年、ビルマ独立義勇軍と日本軍はイギリスが支配するビルマに進軍。ついにイギリスを打ち破ったのです。




イギリスからビルマが独立したわけですね?

「やっと独立ができた!」と国民が喜んだのも束の間。日本軍はビルマの独立を支援するどころか、イギリスにとって代わってビルマを支配しようとしました。つまり、アウンサン将軍との約束を反故にしたわけです。怒ったアウンサン将軍たちは、旧宗主国だったイギリスと手を組み日本軍を追い出す作戦に出ました。そして、1945年、ついに日本軍はビルマから逃げ出したのです。その後、ビルマはイギリスから完全に独立を果たしますが、独立の功労者、アウンサン将軍は独立の直前に暗殺されてしまいました。


ようやくビルマに平和が訪れた……?

イギリスから独立後、ビルマは日本と同様、議会制民主主義の国となったのですが、長くは続きませんでした。1962年、アウンサン将軍と一緒に日本軍から軍事訓練を受けた軍人の一人ネ・ウィン大将がクーデターを起こし政権を掌握。「ビルマ式社会主義」を唱えるネ・ウィンによって、ビルマは鎖国状態におかれ、以後、世界の表舞台から消えてしまいました。それから四半世紀。長く続く独裁政権に苦しむビルマ国民はついに立ち上がりました。1988年、群衆が軍隊と衝突。ネ・ウィンは退陣し、代わって国防相ソウ・マウンが政権を奪取しました。同時に国名も変更。ミャンマー軍事政権の誕生です。このとき、病気の母親を看病するため、たまたまイギリスからビルマに帰っていたのが、アウンサンスーチーさんだったのです。


偶然だったわけですね?

そうです。そこで、軍事政権に反対するスーチーさんは仲間たちと「国民民主連盟(NLD)」を結成。以後、自宅軟禁されるまで1年近くビルマ全土を遊説し、民主化を訴えました。やがて民主化を求める国民の声に押され、軍事政権は1990年、総選挙を実施しました。結果はスーチーさん率いるNLDが議席の8割以上を獲得という、文字どおりの圧勝でした。しかし、軍事政権は政権の委譲を拒否。1度も議会を開くことなく、以後5年間に渡ってスーチーさんを自宅軟禁したのです。自宅軟禁とは一歩も自宅から出てはいけないし、誰も自宅に入れてはならないというもので、つねに軍事政権に監視されていました。この間、1991年には、非暴力の活動が評価されスーチーさんに「ノーベル平和賞」が授与されました。

撮影/西山奈々子(LADYWEB編集長)
2002年6月18日、アウンサンスーチーさんの誕生日にミャンマーにて撮影


今も自宅軟禁は続いていますか?

1995年7月に一度自宅軟禁は解除されていますが、2000年の9月に再び自宅軟禁され、今年(2002年)の5月まで続きました。1999年、スーチーさんの夫であるイギリス人のマイケルさんがガンのためロンドンで死去しましたが、一度ミャンマーを出ると再入国が認められないと考えたスーチーさんは出国を断念。結局、夫の臨終、葬儀には立ち会うことができませんでした。


軍事政権とスーチーさんの対立は今も続いているのですか?

1997年にビルマがASEAN(東南アジア諸国連合)に加盟するなど、少しずつ国際社会との関係を深める動きが出てきました。それにともない、国連や最大のミャンマー支援国である日本の仲介などで、軍政側とスーチーさんとの話し合いがもたれるようになりました。両者が握手する日は来るのでしょうか……?

(取材/金子保知)