「土手」をつくらない、もんじゃ焼き
東京・下町の名物料理、“もんじゃ焼き(*1)”のつくりかたには、大きく分けて2つの流派があるのをご存じですか? ひとつは、もんじゃ焼きの制作過程で「土手(*2)」をつくる“月島流”。もうひとつは、「土手」なんてつくらない“町屋流”(“千住流”“向島流”という説もある)。広く世間一般に浸透しているのは“月島流”です。今回は、子供のころからもんじゃ焼きに慣れ親しんでいるのに、土手をつくらないために、邪道扱いされている“町屋流”のほうのお話です。
今でこそ、学生や会社員が、「よし今日のディナーは、もんじゃ焼きにしよう!」「今度、もんじゃ焼きを食べに行きましょうよ」といって、イベントとして成立するまでになっていますが、もともとは駄菓子屋で食べる、お子様の食べ物でした。
生っ粋の下町っ子である僕にとっても、子供のころからもんじゃ焼き屋が近所にたくさんあったので、給食のない土曜日は300円を持って、よく食べに行ったものです。最近のもんじゃ焼きは、明太子やら、チーズやら、ゴージャスな具が入りますが、当時は、ベビースター(*3)をいくついれるかという選択肢しかありませんでした。「よし、オレは今日は豪勢にベビースター3つだっ」ってな具合です。当時といっても、戦後まもなくとかではなく、ちゃんと1980年代ごろのことです。念のため。
このように、ご幼少時代からもんじゃ焼きを食す下町っ子、特に東京都の北東部、荒川区、足立区、葛飾区出身者の間では、土手をつくらない“町屋流”が採用されています。“町屋流”の町屋とは、荒川区町屋のことで、この地区はあまり知られていませんが、月島に負けず劣らず、もんじゃ焼きの盛んな地域なのです。当然、足立区生まれの僕も、“町屋流”を継承しています。
ところが、JR山手線以西の都民、東京へ流入してくる県民などは、成人してから、月島(または“月島流”の店)でもんじゃ焼きデビューという場合がほとんどです。つまり、大多数の人は、もんじゃは土手をつくって当たり前だと思っているのです。そんな人たちの前で、“町屋流”でもんじゃを焼こうものなら、「なぜ土手をつくらないのか」と非難され、さらに、「本当にご幼少時代から食べていたのか」という冷ややかな視線を注がれかねません。月島デビュー派は数的にも圧倒的に優位ですから、下町の皆さんは要注意です。
では、問題の「土手」は何のためにつくるのでしょうか。
一説には、昔、駄菓子屋で子供がもんじゃを食べる時、隣の子のもんじゃと混ざらないように土手をつくって囲っていた名残りではないかといわれています。なるほど、かなり説得力のある説ではありませんか。現在、1つの鉄板を見ず知らずの人と共同使用することはまずありません。それなら、土手をつくらず、思いっきり汁をぶちまけて、野趣味溢れる食べかたをしたっていいわけです。
別に“月島流”を否定しているわけではありません。月島がもんじゃ焼きを啓蒙してくれたことは、誠に感謝しています。おかげで、こうしたことを話題にもできるのですし、月島のもんじゃストリート(*4)のもんじゃもおいしいです。何度か、初めてのふりをして、食べに行ったことがあります。とくにキャベツがいい味でした。ただ、価格が下町の1.5倍すること、ベビースターが入れられないこと、ラムネサワー(*5)が飲める店が少ないことが少しだけ不満でしょうか。
月島デビューのみなさんは、今日ひとつ、もんじゃ焼きについて詳しくなりました。今後、土手をつくらない人を見かけたら、「こいつ、やるな…」と密かに思ってください。また通っぽく振る舞いたい場合は、ぜひ土手なしで、いなせにつくってみてください。ちなみに、下町の皆さんは、あんこ巻き(*6)作成にも、作法が異なることがありますので、ご注意ください。