
つい最近、高校のときの友達で酒飲みの子にこの話をしたら、
「麦茶と枝豆!? 変なの! 信じらんな〜い!(笑)」
と、バカにされた。おお、おお、バカにするがいいさ! 麦茶に枝豆だって、烏龍茶に枝豆だって、誰にも迷惑かけとらんわい! あんたらはビールの脇役と思ってるんだろうが、私にとっちゃ、枝豆は主役中の主役。だから、へたすりゃコーヒーに枝豆だって平気さっ!
とにかく、私は枝豆が大好きなのだ。最近八百屋やスーパーで主流の、300gぐらいが袋に入った「食べきりサイズ」というやつだったら、ゆでてすぐに、一人で一袋食べきってしまう。なるほど、食べきりサイズ(って、一人分の意味じゃないだろ!)。袋に書いてある食べ方の説明には、「ゆで上がったらザルにとり、塩を振ってよく冷ます」とあるが、私はゆでたての熱々から食べ始める。枝豆の香りが湯気から漂い、たまらなく美味しい。ときどき、さやの中から、熱いお湯の残りがプチュッと出ることがあるので、スリルもある。そして、テレビなんか見ながらつまんでいる内に、程よく豆が冷めてきて、これまた、風味の落ち着いた枝豆のコクを堪能できるというわけだ。居酒屋で出てくるような、冷蔵庫で冷やした枝豆なんて、言語道断! 枝豆通としては、熱々か常温に限ると、ここに断言しておく。
私が子供の頃、枝豆は今のように一さやずつに別れて袋詰めで売られているなんてことはあまりなく、枝にびっしりぶら下がったものを束ねて売っていた。新聞紙を床に広げて、それを一さやずつハサミで切り落とすのが、子供だった私のお手伝いの始まりだった。あのケバケバのさやと、先の尖った部分のチクチクした感触は、今でも覚えている。既に枝から切り離したものがザルに山になって売られていることもあったが、母は、
「切り離しちゃうとおいしくないのよ。枝に付いたままのほうが新鮮なの」
と言って、見向きもしなかった。私もそのときは、ザルの枝豆は死んでる枝豆なんだなあと、子供心に思った。
今はあの頃よりもずっと流通が発達しているから、朝穫りの枝豆がすぐ店頭に並ぶ。だから、枝から切り離したパックのものでも、鮮度はあまり変わらないのだと思う。それでも、やっぱり枝付きのほうが絶対に美味しいはず。でも、いつの間にか枝についたものを探すほうが、大変になってしまったのが残念だ。

しかし、だだ茶豆にしても、茶豆にしても、ちょいと値段が高い。それに、普通の枝豆より小粒で、二粒さやが多い。だから、プリプリの大粒の三粒さやに目がない私には、何だか貧弱に見える。そして、これがいちばん気になるのだが、表面に生えている毛が茶色なので、見た目がなんとなく薄汚れた感じなのだ。それはそれはきれいな緑色にゆであがった、はち切れそうな三粒さやにかぶりつく醍醐味が忘れられない私にとっては、このへんが、だだ茶豆にハマリきれない理由であった。
ところがこの夏、そんな私のモヤモヤを払拭する、最高の枝豆を発見したのだ。その名も『湯あがり娘』。“高級な芳香と甘みのある茶豆風味”というキャッチフレーズが物語るように、色鮮やかな緑色の枝豆のくせに、茶豆の味わいがあるいいとこ取りの品種で、親しみやすいお値段という、まさに私のための枝豆だ。産地は群馬と、これまた親しみやすい。群馬県は、他にもミネラル豊富な有機質の肥料で育てた『ミネラル栽培枝豆』(まんまですな)というのも作っていて、これもなかなかだった。『JA全農ぐんま』の努力のたまものであろう。

そう言えば、私の枝豆の食べ方をバカにした友達に、
「最近、すごく美味しい枝豆見つけてさ。ナントカ娘って言うんだけど……」
と、何気なく言ったら、
「あっ、湯あがり娘でしょ!」
すぐに反応したのにはびっくり。
「そうそう、湯あがり娘! あれは最高だよね〜」
「いいよね〜。湯あがり娘知ったら、他は食えないね」
「うん、湯あがり娘はたまんないよ!」
知らない人が聞いたら、スケベ親父の会話である。ゆで上がりの美しさ故のネーミングなのだろうが、ちょいと気になって検索したら、札幌の薄野に同名のキャバクラがあった。アハ……。
そんなことはともかく、『湯あがり娘』は、お酒を飲む人飲まない人関係なく、万人に愛される、群馬育ちのべっぴんさんなのでした。