私がモロッコのカジノを訪ねることになったのは、まったくの「はずみ」だった。そのとき私は、気ままなひとり旅の途中......。香港からパリへと渡り、次の行く先はニューヨークの予定だった。チケットもすでに買ってあり、翌日は大西洋を飛んでいるはずだったその日、私はたまたまホテルの部屋にあった旅の雑誌で、モロッコの特集を見たのだった。

雑誌の記事は写真がほとんどなく、しかも言葉はフランス語......。だが、ギャンブルに関してはやたらに鼻の効く私は、その中に埋もれた「CASINO」という文字を見つけ出したのだ。とたんに私は、矢も盾もたまらず、モロッコのカジノに行きたくなってしまったのだ。

 

モロッコ唯一のカジノはマラケッシュにあった
 

翌日、私はニューヨーク行きの飛行機をキャンセルし、モロッコのカサブランカに飛んだ。目指すカジノが、モロッコのどこにあるかはわからなかったが、「行けばなんとかななるさ、リゾートとして栄えているカサブランカなら、カジノなんてゴロゴロあるのだろう」くらいにしか考えていなかった。

ところが、私のアテは大きくはずれた。初日に泊まったホテルのコンシェルジェに聞いてみると、カサブランカにカジノはまったくないという。それどころか現在、モロッコで営業・稼動しているカジノはたった1軒だけ。しかも、カサブランカから列車で7時間の距離の、広大な砂漠を越えた先にある町、マラケッシュにしかないという。

もちろんそんな事情にもメゲる私ではなく、翌日は、モロッコ唯一のマラケッシュ目指して旅立った。私が選んだ交通手段は、列車でも飛行機でもなく、タクシーである。飛行機は毎日飛ばず、しかも料金が高い。列車は安いが1日に数本で、時間がものすごく不正確。タクシーなら料金もさほど高くはなく、列車よりはるかに早く、マラケッシュに到着すると聞いたからだった。

 

モロッコ・マラケッシュの街の中心、ジャマ・エル・フナ広場

 

コーランを聴きながら沙漠を走る

私が乗ったタクシーは、くたびれたベンツで、ヨーロッパの街を走っていたものを払い下げてもらった車だという。タクシーの運転手さんは、やたらに陽気で親切なアラブ人のおじさんで、私を見晴しのいい前の助手席に座らせてくれた。また、砂漠を走る道中、退屈しないようにと、『コーラン』のカセットテープをかけっぱなしにしてくれた。

私はイスラム教の教典『コーラン』について、学校で習ったことはあったが、実際に聞いたのはこのときが初めてだった。教典というイメージから、説法のようなものを考えていたのだが、実際は哀調を帯びたメロディの、まるで歌のようなものである。言葉こそわからないものの、不思議に深く胸にしみ込んできて、耳を傾けずにいられない力強さと魅力があった。

「あのー、マラケッシュのカジノのあるホテルに行ってください。きょうはそこに泊まりたいんですが……」
「ああ、あの有名な『マモウニア』だね。でもあそこはバカ高いから、やめたほうがいいよ。近くに『マモウニア』と同じ5つ星ホテルで、料金が3分の1のところがあるから、そこに案内してあげよう」

私はこのときまで知らなかったのだが、カジノのある『マモウニア』は、世界的に有名な、モロッコのナンバーワンホテルであるという。このホテルは、ヨーロッパ貴族の御用達で、モロッコでも人気があるジャッキー・チェンも、1年に1度は訪れるらしい。
実際、見事な石細工の壁や床、繊細なアラビア風装飾に囲まれた『マモウニア』のロビーは、靴をはいて歩くのが申し訳ないほど美しく豪華だった。また『マモウニア』のカジノも、ヨーロッパに引けをとらない華麗さと、規模のあるものであった。

 
マモウニアホテルの敷地内にあるカジノ

 

カジノのディーラーの8割はスペイン人

『マモウニア』のすぐ近くのホテルに部屋を取った私は、それから毎日、カジノに通った。カジノでは、私自身がゲームをするより、見ていたほうが多かったかもしれない。他のお客の遊びかたや、8割がスペイン人だというディーラー達の仕事ぶりを見るのは楽しかった。私の場合、ラスベガス以外のカジノに行くと、たいていこんな風にゲームをするより観察するほうが多くなってしまうのだ。

そして、カジノの帰りには、仲良くなった土地の人の家を訪ね、毎晩家庭料理をごちそうになった。マラケッシュの町の中央にある広場で、旅芸人の一座と一緒にタンバリンを持って踊り、周りを取り囲んで見ていた人々から、お金を集めたこともあった。また、親しくなった現地の家族の女性に連れられ、アラブ式の銭湯に行ったこともある。そのときは、着替えのパンツまで貸りた。

8日後……。私がパリに戻るためタクシーに乗り込むときには、現地で親しくなったたくさんの人々が、涙ぐみながら私を見送ってくれた。毎晩ごちそうしてくれた一家の人々、じゅうたんショップの店員さん、カジノのピットボスやディーラーさんたち。「さようなら」と、振った私の両手には、アラブの花嫁さんがするような、植物色素の入れ墨が描かれていた。

 

ジャマ・エル・フナ広場に集まる大道芸人たち

 

イスラム教に改宗してギャンブルをやめる日

あれから8年は経っただろうか。現地で親しくなった一家には、「今度は一緒にモスク(イスラム経の礼拝堂)に行きましょう」と約束させられたが、未だにその約束は果たしていない。あれから何度もマラケッシュを訪ねたいと思いつつ、時間がなくてなかなか行けないでいる。

法律により、現地の人はカジノに入れないことになっているが、基本的に、敬虔なイスラム教徒はギャンブルをやらないという。
「あなたはとてもいい人だから、うちの弟のお嫁さんに来てほしいわ。それに、あなたがイスラム教に改宗して、ギャンブルをやめてくれたら、最高なんだけど......」

現地で親しくなった一家の、いちばん上のお姉さんに言われた言葉が、今も私の耳に残っている。