イスラエル編〜第2話

イスラエルに約250あるキブツ (KIBBUTZ)という共同体では労働力援助のボランティアを受け入れている。週に6日、毎日8時間の労働をすれば、イスラエルに合法的に長期滞在でき、衣食住の心配もナシ。月に一度はキブツが旅行にも連れて行ってくれる。勿論、お金の自己負担無し。まさに滞在型海外旅行にぴったり。義務労働があっても自由時間だってたっぷり持てるし、女性ならではの仕事もいろいろ。VERY GOODですよ!

「マシュロメ、ハ?
みなさんゴキゲンいかがですか?」
前回から貧乏旅行の醍醐味を連載で紹介をさせてもらうことになったボッケル東武です。まずはヘブライ語と日本語での挨拶ではじめさせてもらいました。今回はイスラエルの共同体・キブツでのボランティア滞在の魅力を紹介しマ〜ス。
このローマ水道は10キロ以上も離れたキーメル山の麓の泉に湧き出た水を運んだ。ここは12世紀初頭、十字軍が上陸した都市としても知られている。そんな歴史的建造物が観光客でごった返すわけでもなく、管理人がいるでもなく、海岸に忽然とひっそりと現れる。

自然発生的に出来上がった理想郷

現在、イスラエルには約250のキブツがあります。キブツ(KIBBUTZ)とは公用語のヘブライ語でグループの意。一つ一つのキブツの人口は500〜1000人。共同体というより、ちょっとした村のようなもの。そこでは老人から子供まで、普通の人々や家族が普通に暮らしています。また、職場や学校もあります。ただ普通の資本主義社会と違うのは、キブツ内では給料もなければ、お金もない。人々に地位の差もなければ、各所のリーダーは持ち回り。キブツ内にストアもあり買い物もできますが、お金がない代わりに全てクーポン券で処理。そんな原始共産主義的共同体なのです。

イスラエル国家自体は日本と同じように普通の民主国家。だからキブツにも何の強制もない。入るのも、出るのも自由。しかし、人口の4,5%にあたる人々はあえて望んでキブツで暮らしています。

では、どうしてキブツが発生したのか?時代は第二次大戦以前にさかのぼります。

このころヨーロッパで「ユダヤ人はイスラエルに帰ろう」というシオニズム運動が起り、国家再建を願うユダヤ人がこの地に集まってきました。これは当時、ヒットラーがユダヤ人を大量に迫害したこととあいまって、さらに拍車がかかったのです。というのも、以前、ここには彼らの国がありました。しかし、それはなんと2000年前。ユダヤ人国家は紀元前2000年ごろに起こり、紀元73年ローマ帝国に完全に征服されるまで。しかし、ユダヤ王国滅亡後、2000年間、今度はパレスチナ人がここを故郷として暮らしてきたのです。

当初、裕福なユダヤ人は合法的に土地を買って移住していたのですが、1948年、周辺のアラブ諸国の反対を押し切ってイスラエルは近代ユダヤ人国家として独立。その結果、アラブ諸国と数度にわたる戦争状態となった。それがあの中東戦争です。 

そのころはユダヤ人同士は周りが敵だらけだったことから共同で住み、土地の周りにはフェンスを張り、身分の差をなくし、順番で監視任務をしていました。その共同生活画がもともとのキブツの始まり。それは次第に組織化して自分たちが食べるため農業、工業を興していった。キブツはイスラエル建国当初、国家の構築に必要不可欠の存在になったのです。

ヨルダン河谷の南端にある死海のすぐ近くにある海抜0メートルの標識の石碑。死海はさらに下り、なんと海抜下約400メートルにある。死海の周辺は世界でもっとも低地にある。
エルサレルの新市街から見た石垣の城壁で囲まれた旧市街。この中にユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地が密集している。民俗の対立もこの中から始まったといっても良い。