マンションを買うと決めて、私がまずとりかかったのは、場所の絞り込みである。とりあえず都内というのは絶対条件なのだが、それじゃあ、めったに足を踏み入れたことのない、足立区とか江東区というエリアを候補に入れるのか? という話だ。やはり、自分の行動範囲以外の未知の場所をわざわざ選ぶというのはリスクが高いので、それはNO!
さてそれでは、世田谷区や杉並区といった、山手線外側のベッドタウンはどうか? ここは、ちょっと迷うところであった。仕事の都合を考えれば、港区、渋谷区、目黒区がいちばん便利であり、それまでも、だいたいその範囲を選んで住んでいた。しかし、マンションを買うとなったら、住宅地的な環境イメージのある世田谷区、杉並区あたりも気になる。歳をとったとき、やっぱり緑の多い、そういう場所のほうが静かだし落ち着くだろうし……。
いや、待てよ。こういう迷い方をしている時点で、既に私は『家の買い方』の一般常識的なマニュアルに、いつの間にかハマっているではないか? 住むなら、郊外の閑静な住宅地……って本当だろうか? それは、あくまでファミリーを基本にした考え方だ。閑静な住宅街で女が一人暮らしして、いったい楽しいか?
おまけに、私は自宅で原稿を書く仕事が基本だ。その合間に、打ち合わせやら取材やらで出かけることを考えると、住む場所と仕事の場所は同じエリアのほうが都合がいいに決まっている。いちばん旬な場所や、情報をキャッチしやすい場所がすぐ近くにあったほうが、感性を鈍らせないためにはいいし、第一楽しい。もしかしたら、老後は静かなところでのんびり生活したくなるかもしれないが、そのときはそのときだ。老後のことを考えて、今の楽しみを我慢するなんて、絶対にナンセンス。今を楽しく生きなくて、何が老後だ。今楽しくなければ、もっと楽しい将来が来るわけないのだ〜〜〜!
よし、決まった! 今の自分の欲望をすべてに優先するという、私流の人生哲学をここでも貫くことにして、エリアは麻布、広尾、目黒、恵比寿、代官山、渋谷あたりに絞り込んだ。次に、部屋の条件だ。南向き、眺めがよく空がたくさん見えること……これは、賃貸の部屋探しでも、いちばん私がこだわった部分だ。ものを書く仕事は、1日中家に閉じこもっていることも多い。陽がさんさんと差し込み、明るい空が見える部屋と、薄ら寒い閉鎖的な部屋とでは、自ずと気分が違うし、文章のタッチが変わってくる気がするのだ。そういう意味もあり、これまでも私は、住むところには、迷わずお金をかけてきた。家もまた、私の感性を刺激してくれる場なのであるから。
あとは、駐車場があって、駅からあまり遠くなく、商店街が徒歩圏内にあること。商店街が意外にパワフルで楽しいということは、麻布十番に住んでみてよくわかった。だいいち、野菜や肉を買いに行くのに、いちいち車で出かけなければならないという生活なんて、言語道断だ。
以上の条件を考えると、住み慣れた麻布十番と、恵比寿が最有力候補地であった。さっそく私は、新聞のチラシを元に、片っ端からモデルルームを見て回った。
それと平行して、住宅購入資金を融資してくれる銀行との交渉……という不得意な分野にも足を踏み入れなければならない。銀行の融資額というのは、もちろん銀行によって差があるが、担当者によっても、かなり差があると聞いていた。つまり、力のある奴とない奴によって、自分のもっている融資枠も大きく違うし、上層部への説得力も違うのである。要するに、優秀で話のわかる銀行マンと出会うことが大切なのだ。
蛇の道は蛇……こういうことは、お金の専門家に相談するに限る。私は迷わず、私の会社の経理をみてもらっている会計士のS氏に相談することにした。S氏は、私と同じ早稲田の法学部出身で、つまり私の後輩にあたる。法学部のくせに、ほとんど法律の勉強をせず、物書きなんかになった私に「いやあ、みどりさんは先輩ですから、アハハハ」などと言う、すごく嫌みな奴だ。しかし、私と違ってちゃんと勉強して、一発で会計士の試験にパスしたのだから、悔しいがとても優秀な男なのだ。私が、経理的なことというか、お金に関することが全く不得意なのを知っているので、どんな相談にものってくれるが、最初に必ず、これまた嫌みな説教をするのが、ちょいとうっとうしい。
このときも、マンションを買う旨を話すと、
「その金額なら、まあ借りられると思いますけど、これからずっと払い続けるんですよ。仕事がなくなったりしたらどうするんですか? 病気になることもあるかもしれないし。あまり無理しないほうがいいんじゃないですか」
と、ブツクサ言われた。そんなのわかってるわい! でも決めたんじゃい! だから相談してるんじゃい! と言いたいところを我慢して聞いていると、言うだけのことを言った後、彼が顧問をしている銀行の支店長代理を紹介してくれた。フン! 最初から素直に紹介すりゃあいいのにと思いながら、笑顔で、「すみません、よろしくお願いしま〜す!」と言う私もなかなか世渡り上手。
S氏の紹介で、融資のほうもなんとかメドがついた頃、マンションも二つに絞られた。麻布十番に近い南麻布の6階建てのマンション、もう一つは、恵比寿の14階建てのマンションだ。これがどうも甲乙つけがたく、さて困った。どちらも早く決めないと、誰かに先を越されてしまう。こういう場合も、経験者に聞くのがいちばん早い。私は、あちこちのマンションを見て歩くのが趣味のK美の意見を聞くことにした。K美はこの連載の『憧れのロイヤルコペンハーゲン』にも登場しているが、私と同じ麻布十番のマンションの住人で、彼女はそこを購入していた。それだけでなく、私がマンション探しを始めた頃は、どうした風の吹き回しか、十番のマンションを人に貸して、逗子マリーナに住んでいたのだ。とにかく、マンションに関するうんちくはかなり持っている。
週末に車を飛ばして逗子まで行き、K美のアドバイスを受けた。構造や間取りからして、彼女は恵比寿のマンションがいいだろうという意見だった。
「みどりは本とか資料が多いから、ここの部屋は資料庫にして、隣の部屋との境の壁をぶち抜いちゃえば」
ついでに、こんな大胆な改造案まで出して来た。残念ながら間の壁は鉄筋コンクリートだからぶち抜けないと言うと、
「だったら、ひと続きにするのは無理でも、鉄筋と鉄筋の間を人一人通れるくらい、アーチ型にくりぬいてもらえば?」
と、今度は建築家モード。他人の家を、それもまだ買ってもいない内から壊そうとしているK美。逗子に来ても、そのパワーは衰えることを知らない。
「リビングのテレビはここに置いて……あっ、隣のこの部屋の間取りだったら、この和室をダイニングにするのもいいんじゃない?」
「この部屋はクローゼットにしちゃって、ここが仕事場だな!」
どんどん話がエスカレートしていくK美。私は、マンションの選択に関する意見以外は、すべて参考意見として聞き流し、早々に逗子を後にした。
ついにマンションが決定した。外観もきれいだし、筐体もしっかりしている。内装も、腰壁(腰ぐらいの高さから下に木を張ってある洋館風の壁)やニッチなど細かい部分に気が利いていて、なかなか素敵。さて、あとはどのタイプの部屋にするかである。条件と価格を考えて、候補は2つに絞られている。
私の人生最大のお買い物レースも、ゴール間近だった。(つづく)
さてそれでは、世田谷区や杉並区といった、山手線外側のベッドタウンはどうか? ここは、ちょっと迷うところであった。仕事の都合を考えれば、港区、渋谷区、目黒区がいちばん便利であり、それまでも、だいたいその範囲を選んで住んでいた。しかし、マンションを買うとなったら、住宅地的な環境イメージのある世田谷区、杉並区あたりも気になる。歳をとったとき、やっぱり緑の多い、そういう場所のほうが静かだし落ち着くだろうし……。
いや、待てよ。こういう迷い方をしている時点で、既に私は『家の買い方』の一般常識的なマニュアルに、いつの間にかハマっているではないか? 住むなら、郊外の閑静な住宅地……って本当だろうか? それは、あくまでファミリーを基本にした考え方だ。閑静な住宅街で女が一人暮らしして、いったい楽しいか?
おまけに、私は自宅で原稿を書く仕事が基本だ。その合間に、打ち合わせやら取材やらで出かけることを考えると、住む場所と仕事の場所は同じエリアのほうが都合がいいに決まっている。いちばん旬な場所や、情報をキャッチしやすい場所がすぐ近くにあったほうが、感性を鈍らせないためにはいいし、第一楽しい。もしかしたら、老後は静かなところでのんびり生活したくなるかもしれないが、そのときはそのときだ。老後のことを考えて、今の楽しみを我慢するなんて、絶対にナンセンス。今を楽しく生きなくて、何が老後だ。今楽しくなければ、もっと楽しい将来が来るわけないのだ〜〜〜!
よし、決まった! 今の自分の欲望をすべてに優先するという、私流の人生哲学をここでも貫くことにして、エリアは麻布、広尾、目黒、恵比寿、代官山、渋谷あたりに絞り込んだ。次に、部屋の条件だ。南向き、眺めがよく空がたくさん見えること……これは、賃貸の部屋探しでも、いちばん私がこだわった部分だ。ものを書く仕事は、1日中家に閉じこもっていることも多い。陽がさんさんと差し込み、明るい空が見える部屋と、薄ら寒い閉鎖的な部屋とでは、自ずと気分が違うし、文章のタッチが変わってくる気がするのだ。そういう意味もあり、これまでも私は、住むところには、迷わずお金をかけてきた。家もまた、私の感性を刺激してくれる場なのであるから。
あとは、駐車場があって、駅からあまり遠くなく、商店街が徒歩圏内にあること。商店街が意外にパワフルで楽しいということは、麻布十番に住んでみてよくわかった。だいいち、野菜や肉を買いに行くのに、いちいち車で出かけなければならないという生活なんて、言語道断だ。
以上の条件を考えると、住み慣れた麻布十番と、恵比寿が最有力候補地であった。さっそく私は、新聞のチラシを元に、片っ端からモデルルームを見て回った。
それと平行して、住宅購入資金を融資してくれる銀行との交渉……という不得意な分野にも足を踏み入れなければならない。銀行の融資額というのは、もちろん銀行によって差があるが、担当者によっても、かなり差があると聞いていた。つまり、力のある奴とない奴によって、自分のもっている融資枠も大きく違うし、上層部への説得力も違うのである。要するに、優秀で話のわかる銀行マンと出会うことが大切なのだ。
蛇の道は蛇……こういうことは、お金の専門家に相談するに限る。私は迷わず、私の会社の経理をみてもらっている会計士のS氏に相談することにした。S氏は、私と同じ早稲田の法学部出身で、つまり私の後輩にあたる。法学部のくせに、ほとんど法律の勉強をせず、物書きなんかになった私に「いやあ、みどりさんは先輩ですから、アハハハ」などと言う、すごく嫌みな奴だ。しかし、私と違ってちゃんと勉強して、一発で会計士の試験にパスしたのだから、悔しいがとても優秀な男なのだ。私が、経理的なことというか、お金に関することが全く不得意なのを知っているので、どんな相談にものってくれるが、最初に必ず、これまた嫌みな説教をするのが、ちょいとうっとうしい。
このときも、マンションを買う旨を話すと、
「その金額なら、まあ借りられると思いますけど、これからずっと払い続けるんですよ。仕事がなくなったりしたらどうするんですか? 病気になることもあるかもしれないし。あまり無理しないほうがいいんじゃないですか」
と、ブツクサ言われた。そんなのわかってるわい! でも決めたんじゃい! だから相談してるんじゃい! と言いたいところを我慢して聞いていると、言うだけのことを言った後、彼が顧問をしている銀行の支店長代理を紹介してくれた。フン! 最初から素直に紹介すりゃあいいのにと思いながら、笑顔で、「すみません、よろしくお願いしま〜す!」と言う私もなかなか世渡り上手。
S氏の紹介で、融資のほうもなんとかメドがついた頃、マンションも二つに絞られた。麻布十番に近い南麻布の6階建てのマンション、もう一つは、恵比寿の14階建てのマンションだ。これがどうも甲乙つけがたく、さて困った。どちらも早く決めないと、誰かに先を越されてしまう。こういう場合も、経験者に聞くのがいちばん早い。私は、あちこちのマンションを見て歩くのが趣味のK美の意見を聞くことにした。K美はこの連載の『憧れのロイヤルコペンハーゲン』にも登場しているが、私と同じ麻布十番のマンションの住人で、彼女はそこを購入していた。それだけでなく、私がマンション探しを始めた頃は、どうした風の吹き回しか、十番のマンションを人に貸して、逗子マリーナに住んでいたのだ。とにかく、マンションに関するうんちくはかなり持っている。
週末に車を飛ばして逗子まで行き、K美のアドバイスを受けた。構造や間取りからして、彼女は恵比寿のマンションがいいだろうという意見だった。
「みどりは本とか資料が多いから、ここの部屋は資料庫にして、隣の部屋との境の壁をぶち抜いちゃえば」
ついでに、こんな大胆な改造案まで出して来た。残念ながら間の壁は鉄筋コンクリートだからぶち抜けないと言うと、
「だったら、ひと続きにするのは無理でも、鉄筋と鉄筋の間を人一人通れるくらい、アーチ型にくりぬいてもらえば?」
と、今度は建築家モード。他人の家を、それもまだ買ってもいない内から壊そうとしているK美。逗子に来ても、そのパワーは衰えることを知らない。
「リビングのテレビはここに置いて……あっ、隣のこの部屋の間取りだったら、この和室をダイニングにするのもいいんじゃない?」
「この部屋はクローゼットにしちゃって、ここが仕事場だな!」
どんどん話がエスカレートしていくK美。私は、マンションの選択に関する意見以外は、すべて参考意見として聞き流し、早々に逗子を後にした。
ついにマンションが決定した。外観もきれいだし、筐体もしっかりしている。内装も、腰壁(腰ぐらいの高さから下に木を張ってある洋館風の壁)やニッチなど細かい部分に気が利いていて、なかなか素敵。さて、あとはどのタイプの部屋にするかである。条件と価格を考えて、候補は2つに絞られている。
私の人生最大のお買い物レースも、ゴール間近だった。(つづく)