よりどりみどり〜Life Style Selection〜


敢えて、なんちゃってBag宣言!

台風やら秋雨前線やらで、日本列島は水浸しだが、一夜明ければ30度を超える灼熱の太陽が復活。濡れたり乾かしたりで、まだまだ残暑の厳しい今日この頃である。しかし、書店に並ぶファッション雑誌を見れば、モードの世界はFW(Fall & Winter、つまり秋冬もの)一色。やれビクトリアンだ、やれロシアンだ、2005〜2006年秋冬は、マリーアントワネット風貴婦人ルックと、コザックとミリタリーの三つどもえでにぎわっている。

そんなFashionの世界で、ここ数年元気のいいのがバッグである。エルメス、ルイ・ヴィトンやグッチ、プラダのように、もともとバッグ屋だったブランドがLVMH社のイケイケ戦略もあって、めきめきと人気を上げてきたせいもあるだろう。確かにそれ一つ持っていれば、取り敢えずブランドギャルやブランドマダムの仲間入りができるという、水戸黄門の印籠にも匹敵する『控えおろ〜〜!』的お墨付き効果が、ブランドバッグにはある。そういう意味でブランドバッグというのは、荷物を入れて持ち運べるという機能性を持った、家紋付きの立派なアクセサリーなのである。機能性はあくまでもおまけであり、重要なのは、いかにもそれと誰にでも認識できるデザインと、家紋、つまりブランドのロゴマーク。その証拠に、プラダのあの逆三角プレートや、ヴィトンのLVマークが見えるところに付いていないものは、いくらデザインが可愛くても、売れない。並行輸入屋のオヤジは買い付けもしない。

今年になって、ブランド側まで恥ずかしげもなく、その家紋を「これでもか!」とばかりに、どでかくアピールしてきたのにはビックリだ。例えばシャネルの『カンボン』シリーズ。あの、Cが2つ絡んだシャネルマークが、バッグからはみ出すデカさで貼り付いている。プラダも、ロゴプレートでは飽きたらず、バッグの正面にドカ〜ンと看板ごと型押しにしたシリーズを出してきた。グッチも、Gマークのシグネチャーを全面型押しにしたり、トレードマークの金具の、ビックリするくらい大きいのをくっつけたり。いやはや、馬具屋からたたき上げ、伝統のブランドの基礎を築いたご先祖様は、さぞかし墓の下でお嘆きのことでしょう。

でもね、そういった家紋丸出しのデザインが、カワイイときているから、さすがなのだ。あのカラフルなヴィトンのバッグだけはどうしても好きになれないが、いつまでも同じデザインばかり作るのではなく、新しいものにも挑戦するという心意気は認めたい(と私が言っても説得力ないか)。そして、そんな時代の流れに動じず、今でも人気絶頂のケリーバッグ、バーキンなどを有するエルメスの孤高の精神には、ますます頭が下がる。

こういった、ヨーロッパを中心とした家紋ブランドバッグ合戦に、最近は外様大名まで新たに参入してきたので、これまた面白くなってきた。ロエベ、バリー、クロエ、マルベリー、バレンシアガなんていう、山本山総本店みたいなブランドが、エディターズバッグなるシロモノを中心に、いきなり様変わりを見せているのだ。おそらく、あの、名前だけは知られていたけど、どうもパンチに欠けていたセリーヌや、いかにもアメリカの大味なバッグ屋だったコーチが、エイヤッ! と気合いを入れて、ブギーバッグやシグネチャーラインでのろしを上げたのに触発されたのに違いない。いやはや、ブランドバッグ秋の陣で勝利を収めるのはいったいどの大名だろうか。

かく言う私も、一応誰もが通るブランドバッグのミーハー道を歩んできた。学生時代のレノマ、ディオールから始まり、バブルの時期に仕事で海外に行くことが多かったので、出たばかりのヴィトンのエピの財布やパリ本店でしか買えないバッグ、グッチのバンブーリュック、プラダのナイロンバッグなどなど、それなりにかじってはいる。シャネルやエルメスは、それなりの年齢とランクに届いてから……と、密かに心に決めたりもしていた。

ところが、40代になってから、このブランドバッグとやらにあんまり興味がなくなってしまったのだ。いや、正確に言うと、気が付いたらブランド品のバッグを日常でほとんど使っていないことに気づいたのである。いちばん使い倒したのはグッチのスエードのバンブーリュックぐらい。あとは、荷物があまり入らないとか、傷がつくのが怖くて、普段には持てないなどの理由で、しまい込んでしまっているものがほとんどだ。

私がバッグを持って出かけるのは、その90パーセントが取材や打ち合わせ、つまり仕事のときである。MDレコーダーやらデジカメやら資料やらと、当然荷物が多い。おまけに、愛用しているヴィトンの横長財布は、領収書と各種カードでボタンが閉まらないくらいパンパンに膨れているので、その財布が入るだけでも、かなりの大きさが必要とされる。一時流行った、ディオールのアクセサリーバッグなんて、この財布すら入らなかったから、話にならない。もちろん携帯電話は必需品かつ、いつでも素早く取り出せなければいけばいし、手帳も、スケジュール帳と取材メモ用と2冊あり、これまた出し入れが多い。

例えばエルメスのケリーやバーキンのような面倒な留め金が付いているバッグなんて、たぶん、一生留め金を外したまんまになることだろう。だいたいケリーやバーキンは、電車やタクシーなんか乗ったことがなく、お抱え運転手付きの車で移動し、当然、バッグからお財布を出し入れする必要のない生活をしているマダムが持つものなのである。私なんかが持ったら、印籠の役割は果たせても、肝心のバッグとしては不便きわまりないものなのだ。結論として、私の生活に必要なのは、みんなが憧れるブランドバッグではなかったのだ。

エディターズバッグと呼ばれるルエラやクロエ、マルベリーなどのバッグは、その名からも私にピッタリに思えたが、実際に持ってみたら、革がものすごく分厚くてめちゃくちゃ重く、持つ気になれなかった。

ちなみに、今大活躍しているバッグと言えば、ハワイのアラモアナショッピングセンターにあるNineWestのセールで買った40ドルのバッグである。収納力よし、使い勝手よし、雨に濡れても、ぶつけて少々傷になっても、全く落ち込まない価格よしの三拍子揃った優秀なバッグである。もちろん、デザインだってカワイイ……っていうか、プラダのパクリって感じが笑えてよい。

どこから見てもブランドものそっくりの高級偽物というのは、犯罪のニオイがして納得いかないが、明らかにホンモノではない“なんちゃってブランドバッグ”は、結構チャーミングでカワイイと思う。しかも、このなんちゃってモノは、実際に使うと、ホンモノより実用的で使いやすいのである。例えば、ホンモノには付いていない外ポケットが付いていて、財布や携帯の出し入れが便利だったり、合皮でできているから軽くて持ちやすかったり。この間、たまたまサンプル用に、エディターズバッグの火付け役である『ルエラ』のなんちゃってモノを8500円で買ってみたら、開け閉めの面倒なベルトの部分はそのままで、裏側がマグネット式で開閉できるようになっていたのには感心してしまった。おまけに、超軽量。こういうのって、我々の生活レベルの人間が作っているんだろうなあと思えて、愛着まで感じてしまったほどだ。

もちろんブランドバッグは、その素材や職人の技が光る縫製技術など、作品と呼びたいぐらいに素晴らしいし、使いやすいものもたくさんあると思う。今後、ん10万出してもこれなら納得、と思えるモノと出逢うこともあるだろう。

今の私にしっくりくる名品は、ゆっくり探したいとも思う。

それまで、敢えて『なんちゃってバッグ』で、かる〜いブランド気分を味わいつつ、ブランドを笑い飛ばすのも、結構楽しいのではないだろうか。