よりどりみどり〜Life Style Selection〜


モモ子のお葬式

去年の暮れ、Y子の飼っていた猫のモモちゃんが死んだ。

正式名は「モモ子」。猫の名前に正式名というのも変だが、動物病院からもらった薬の名前のところに、はっきりと「○○モモ子様」と書いてあった。ちなみに余談だが、Gacktの飼っているミニチュアダックスフンドのベルは、正式名が「ベル・コンスタンティン・チャピ」といい、ベルが名前、コンスタンティンがミドルネーム、チャピが名字なんだそうだ。

モモは、21〜2年も生きた、ものすごい長寿猫だった。若い頃ガンにかかったりして、大手術を2回もしているのにだ。ペルシャとヒマラヤンのミックスらしく、ちょっぴりグレーがかった白いふさふさの毛がとってもきれいな、気品のある子だった。猫は犬と違って、プルプルしっぽを振って人間に愛嬌を振りまかないものだが、モモはそんな猫の中でも、特にプライドが高くマイペースで、めったに人にすり寄ったりしてこなかった。呼んでもチラッと振り返るだけだし、飼い主のY子以外の人間が頭をなでようとしても、迷惑そうな顔で行ってしまう。それでも、私がなでると、気持ちよさそうに目を細めていたから、私はY子以外にモモが気を許す、数少ない人間の一人だったらしい。

「モモちゃんは小野さんには気を許してると思う。他の人には、自分から近寄っていったりしないもの」

Y子もそう言っていたから間違いない。私は、同世代の人間には怖がられるけど、子どもと動物にはメチャメチャ好かれるという、野生の血を持っているらしいのだ。子どももいないし、ペットも飼ってないし、幼稚園の先生でも、動物園の飼育係でもないので、何の得にもならない血である。ただ、いろいろな意識レベルで、ガキんちょや動物の周波数を感じて自分を解放するのは、ストレスの解消になる。モモからも、帰るときに「モモ、じゃね!」と目を合わせるだけで、お互いを確認でき、ホッとできた。抱きしめたり、膝に乗せたりなんてことは、ほとんどしていないけど、モモは私にとって、Y子と同じくらいマブダチだった。

そんなモモが、急に衰えを見せたのは、1年ぐらい前からだ。ちょっと高い場所に飛び乗るのに、躊躇するようになったのである。そして、すぐに今度は視力が衰えた。歩いていて、テーブルの脚に頭をぶつけたり、壁に沿って、辿るような動きを見せたり。気位の高い素振りで部屋の中を優雅に横切っていたモモにも、老いはやって来るのだなと、みんなでその変わり振りに驚き、少し悲しい気持ちになった。そして、老いは容赦なく進んだ。

視力はどんどん衰え、すっかり見えなくなった。右の後ろ足を引きずるようになり、踏ん張りが利かなくなった。目が見えないので怖いらしく、夜中に突然ものすごい声で泣きわめく、とY子が悲しそうに言っていたのは、ほんの半年ぐらい前のこと。その恐さのせいか、その後すぐに、トイレの隅っこにもぐり込んだまま出てこなくなった。知らずにトイレに入ったら、タンクの横にモモが寝ていて、びっくりしたこともあった。自分のトイレの場所が見えないので、そそうが多くなった。モモのオシッコを拭きながら、

「介護って、こういうことなんだよね」

と、Y子が寂しそうに言っていたのを思い出す。毎日そんな日が続いて、彼女が精神的にまいってダーリンのI氏に「どうしたらいいかわからない……」と愚痴ると、I氏は言ったそうだ。

「オシッコしたら拭いてやりゃええやん。お腹空いたら食べさせてやりゃええやん」

う〜ん、さすがだなあと思った。優しさとか思いやりとか、とかく人間は理屈で考えるけど、ただ単純に、やるべきことをやる。介護って、そういうシンプルな覚悟を言うものなのかもしれない。Y子が腰痛で鍼を打ってもらったとき、ふと思いついてモモにも打ってもらったらことがあった。ペットの介護に落ち込みながらも、衰弱した愛猫を鍼でナントカしようと思いつくY子もさすがである。しかも、その鍼が思った以上に効果があって、モモはそれからしばらくの間、かなりシャキッと歩けるほど回復を見せた。

しかし、12月半ばに入ると、モモはついにほとんど動かなくなり、毛布にくるまって横たわるだけになった。エサも食べないので、Y子とI氏が交代で毎日近くの病院に連れて行き、点滴で栄養剤を打ってもらう。病院でも、これだけ高齢な猫は初めてだと言われたそうだ。

Y子にモモをくれた里親のY氏が、「そろそろ棺桶を用意しといたほうがいいだろう」と、手回しよく猫用の棺桶を送ってよこした。おいおい、まだ死んでないのに……と思ったが、確かに死んでから準備したのでは遅い。人間だったらヒンシュクもんだけど。それに、猫用の棺桶なんてもんがあること自体、ビックリである。ブルーの段ボール製の、洋風な棺桶は、かなり可愛かった。

12月22日の夜10時過ぎ、モモは毛布にくるまって寝たまま息を引き取った。そばにいた人も気付かなかったくらいだったから、大往生と言えるだろう。仕事で出かけていたY子が帰宅したのはその直後だったらしく、モモはまだ暖かかったという。偶然なのだが、その頃私は車ですぐ近くを通り、「そう言えば、モモはまだ大丈夫だろうか?」と、六本木ヒルズのイルミネーションをながめながら、ぼんやり考えていた。合掌……。

翌日、モモのお葬式。最近のペットブームで、あちこちにペット専門の葬儀屋がある。Y子の家のある六本木の斎場で、モモは火葬された。ちなみに、ペットの葬儀にもいろいろあり、モモは極シンプルに火葬したあと、飼い主がお骨を引き取りにいくだけのものだったが、ペットのお気に入りの音楽を掛けてくれるコース(?)とか、飼い主共々、車で思い出の地(散歩コースや友達の家)を廻るコース(!)なんかもあるのだそうだ。完全に、飼い主の自己満足の世界である。モモを受け取りに来た葬儀屋にI氏がさり気なく「忙しいですか?」と聞いたところ、「お陰様で……」という答が返ってきたというところからも、この手の葬儀屋が、最近儲かっていることは間違いなかった。昔はペットが死ぬと、庭にお墓を作って埋めたものだが、マンションがほとんどの都会では、そういうわけにはいかない。ちなみに、ペットの火葬に立ち合ったのは、これが初めてだったけど。

モモの遺骨は、小さな白い骨壺に収められ、白い布に包まれて渡された。ちゃんと筆で名前も書いてあった。Y子も私もI氏も、みんなこういう日が来るのは少し前からわかっていたので、静かに現実を受け止め、穏やかな気持ちでモモを見送った。ポカポカと暖かな冬の日だった。部屋の片隅のチェストの上に祭壇を作って、ピンクのガーベラ(モモだから)を飾り、お香をたいた。キッチンの隅っこにおいたままの、モモの水飲み皿に胸がチクッと痛んだ。

今、モモの遺骨は、白くて見るからに「骨壺です!」という壺から、舎利塔と名付けられた、きれいな焼き物に移され、Y子の家の片隅に置かれている。この舎利塔は、沖縄に住む陶芸家の山上學氏作の分骨用の焼き物で、素敵な風合いの香炉という感じのものである。実際、上の蓋をとると香炉になっていて、その下の部分に遺骨が入るようになっているものだ。大切な人が故人となっても、いつも身近に感じていたい……そんなシンプルな考え方から、分骨用の舎利塔の考え方を提案している方が、知り合いにいるのだ。私もその考え方には共感を覚え、遠くてなかなか行けないお墓や、現代の生活様式と不釣り合いな仏壇より、ずっと素敵な考え方だなと思っていた。最初に入るのがモモだとは、考えてもみなかったけど。

介護から葬儀、分骨まで、モモは最後にいろんなことを私に考えさせてくれた。これからも、舎利塔の中で、ずっと私たちを見守っていてくれることだろう。

『モモの棺』 http://www.thankyoupet.co.jp/products_grace.html