よりどりみどり〜Life Style Selection〜


Do you have a pen?

鉛筆で原稿を書かなくなって、かれこれ20年ぐらいになる。

大学を出てすぐ音楽雑誌の編集者になった頃は、当然ながらワープロなんてものは世の中になく、原稿を書くには鉛筆を使うが主流であった。まだライターなんていう言葉はなかったし、編集者が企画から取材の交渉、インタビュー、撮影の仕切り、原稿書き、はたまたレイアウトのラフ案作りや文字校正のすべてを一人で行うという、家内制手工業が当たり前の時代。とにかく毎日いっぱいいっぱい文字を書いた。

子供の頃から文章を書くのが大好きだったので、鉛筆は私にとっては必需品だった。三菱のHBが定番である。ノートの上にカリカリと文字を書くあの感覚が、とにかく好きだった。プリンタはもちろん、コピー機すらなかった小学校時代の印刷物作成には、通称『ガリ版印刷』と呼ばれる謄写版印刷が使われていた。学級新聞を作る係だった私は、当然ガリ切りの天才だった。な〜んつっても、今の若いモンには何のコトやらわからないであろう。昔はロウの塗ってある薄い方眼紙(これを原紙と言う)を大きなヤスリのはめ込まれた板の上に置き、鉄筆と呼ばれる芯の部分が鉄でできたペンで文字や図を書いたのだ(これを通は“ガリ切り”と言った)。ヤスリと鉄筆の摩擦で、書いた部分の蝋がはがれる。これがつまり版。版となった原紙を印刷機の編み目の部分に貼り付け、印刷する紙の上にバタンと倒して、裏側からローラーでインクを塗ると、蝋が取れた部分からインクがにじみ出して、文字が印刷されるという実に原始的な仕組みである。パタンとやってローラー……の作業を、刷りたい枚数だけやる。プリントゴッコのバシッと光を当てる行程が、手書きだったというイメージかな。笑うかもしれないが、当時の学校の先生は、こうやってテスト問題の印刷もやってたんだぞ!

ちなみに私はこのガリ版印刷で、中学時代には卒業文集をまとめ上げ、高校時代には、先輩から収集した過去のテスト問題を元に、中間や期末テストの『傾向と対策集』を作り、1部100円でみんなに売っていた。何たって手書き、手刷りですぞ! テスト前にそんなもん作ってる暇があったら勉強しろ! って話だ。今だったら、パソコンを使って、出版物と変わらないレベルのものが作れ、もっと高く売れたであろう。

そんなわけなので、出版社に入ったときは既に私の右手中指の先には、立派なペンだこ(鉄筆だこ?)ができていた。そこへ来て、毎月山のような原稿を書くようになったのだから、ペンだこはどんどん育つ。特に、サラサラとかスラスラではなくカリカリ感が好きな私は当然筆圧が高く、たこの生育には最適であった。それは、鉛筆からシャープペンシルに進化しても変わらず、ついに私の右手中指の左サイドのペンだこは硬いこぶ状になり、ペンに圧迫されて、爪までも変形してしまっていた。

ワープロが登場したのは、私がフリーライターになり、1か月に400字詰め原稿用紙50枚〜80枚という量の文字を書きまくっていた頃である。まさにGoodタイミング! と言いたいところだが、何しろ幼少の頃からカリカリ感命! で文章を書いてきた私である。いきなりキーボードと言われても、そこにはかなりの戸惑いと抵抗があった。確かに、画数の多い漢字を書いたり消しゴムで消したりする手間はなくなる。同じ言葉は登録してしまえば、1打で出てくるし、文章の入れ替えも楽。しかし、文章は頭で作るモノだ。私はそれまで、カリカリと紙に書くあの感触とリズムと音で脳を刺激し、文章を書いてきた感覚があった。原稿用紙に書いた自分の文字の形や、マス目に埋まっていく文字の表情から、新たなインスピレーションが沸いてくるようにも思えた。それがワープロに変わったらどうなるのか?

「きっと、私の文章じゃなくなる!」

ずっと培ってきた書くことの喜びに、五感がNO! と言っていた。

そんな時である。当時私は某女性誌で田原俊彦の連載インタビューを書いていたのだが、当時アイドルから脱皮して大人の男に変身しつつあった天下のトシちゃんが、私のペンだこを見つけて言ったのだ。

「な〜んだよその不細工な指は! ワープロにしろよ、ワープロに〜っ!」

ムカつくくらいハッキリ指摘されて、私もぐずぐずする自分の気持ちに決着がついた。とりあえず使ってみて、いやだったらまた手書きに戻ればいいか。

そして買ったのが、FUJITSUのオアシス11というA4サイズのノートブックワープロ。最初の内は調子が違って戸惑ったりしたが、慣れてみれば思った以上に楽であり、心配していたリズムの違いなど、脳が勝手に順応してくれた。しかも、簡単に文章をごっそり消したり入れ替えたりという編集ができるので、自分の感情や思い入れで一気に書き上げるタイプの私には、とっても相性のいい道具だということもわかった。途中で悩んでも、取り敢えずそのまま一気に最後まで書き上げ、達成感をひとまず味わってから、後で細かい修正をするという荒技が使えるのだ。トシちゃんの暴言に感謝である。

それから、家に山積みになっていた各雑誌の原稿用紙(原稿用紙は雑誌ごとに専用のものがあった)の束を整理し、ワープロで原稿を書くという、私の物書き人生の第2期がスタートした。それはもう、私的文化大革命。でもその割には、私のワープロ導入は、各編集部でかなり不評なのは意外であったが。

「ええっ! ワープロにしちゃったの? 何か残念だなあ、小野さんの字が見れなくなるの」
「そうですかあ、もうあのきれいな原稿が読めないんだあ……」

そう言えば、私の原稿を初めて読んだ編集者は必ずこう言ったっけ。

「原稿ありがとうございました。いやあ、きれいな字ですねえ」

内容より先に字がきれいなことを褒められるというのも何だかなあ……と複雑な気持ちになったものである。いずれにしても、印刷されて雑誌に掲載されてしまえば、原稿がどんな状態であったかなど関係ない。字が美しくても、物書き業にはさほど得にはならんのだ。ただ、こうやって私の原稿を楽しみにしている編集者がいたということは、携帯電話もFAXもなかったあの時代の思い出として、今ではとても懐かしい。だって、メール添付で瞬時に原稿を送れてしまう時代に、こういうコミュニケーションは存在しないもの。

ちなみにちょっと自慢が入るが、手書きの原稿に赤を入れて(小文字や記号がわかりやすいように赤鉛筆で印をする作業。今は死語だね)入稿していたあの時代、私の原稿はほとんど誤植(印刷屋の文字の打ち間違い)がないので有名だった。印刷屋さんにとっても読みやすく作業しやすかったのだろう。あっ、そうか! 言うなれば、人間ワープロだったってことなのかも……。

ワープロはあっという間に物書きの常識となり、それからすぐにパソコンの時代がやってきた。私にとっての第3期。編集部とのやりとりから原稿書き、原稿送りまで、ほとんどパソコンで作業をしている。それでも文章量の多いものは、やはり“原稿を書く”という一芸に秀でたワープロが早い。だから、ワープロで書いたデータをパソコンに移して編集作業をする。ただ、今はもう単純なワープロなんてもんは生産されていないので、今使っている2代目のオアシスがぶっ壊れてしまったら、パソコンオンリーになるだろう。

ペンで文字を書くのは、銀行や税務署で住所や名前を書かされるナントカ依頼書か、宅急便の伝票、あるいは何かのアンケートぐらいになった。それでも私は、シャープペンシルやボールペンのあのカリカリした感覚が、今でも好きだ。私の書くものに、その内容とは別ににじみ出る私らしさがあるとしたら、それは子供の頃から指先で感じてきた、あのカリカリという文字の神様からの信号が与えてくれたものだろう。

そして、年賀状や手紙は絶対に今でも手書きにしている。ワープロの文字は単なる記号だけど、手書きの文字は映像。書く人の顔がちゃんと浮かび上がるものだから……。