皆様、今年の桜は充分お楽しみになったことと思います。気温が低かったおかげで、開花期間がかなり長く、桜の花を思う存分満喫なさったことでしょう。「毎年このくらい長く咲いていてくれれば…」と思った方も多いのではないでしょうか。ただ、同時に、私は少々身勝手なことを考えてしまったのですが、桜は開花期間が短いほど、花のありがたみが身にしみて、より一層私たちの心もワクワクするのではないか、と。生花のアレンジメントや花束をご覧になって「生の花は枯れてしまうから…」とおっしゃる方もいらっしゃいますが、花は生きているからこそのよさがあります。小さなつぼみが、日を追うごとに咲いてくる姿に心が踊ったり、そして、目で楽しむだけではなく、香りも楽しむことができるのです。枯れてしまうときは、それはそれは悲しいですが、花には寿命があるからこそ、咲いている時がいとおしいのです。花が枯れてしまう意味は充分にあるのではないかと、今年の桜を眺めながら改めて思ったりもしました。これも花の不思議な力なのかもしれません。
数回にわたり、少しずつお話ししてきた、花の不思議な力ですが、今回は、目で見て感じる不思議な力だけではなく、香りや音からも感じる、花や自然の力について、少しお話してみたいと思います。
名前に似つかわしくない、愛らしい花姿のドクダミ。
桜の季節を終えて、ふと気づくと、木々は新緑で覆われています。この1か月で、街路樹もあっという間に姿が変わりました。都心にほど近いこの場所でも、よくよく周りに気を配りながら歩いてみると、植物などの自然から季節の移り変わりを感じることができます。先日も、まだ淡い緑色ではありますが、アジサイが、梅雨の訪れを告げるかのように、小さな花をつけ始めていました。梅雨に入る頃には、美しく色づき、私たちの目を楽しませてくれることでしょう。また、コンクリートの歩道の脇にある、ほんのほんの小さな土の部分からはドクダミが芽を出し、満開まであと一歩の花を咲かせていました。ドクダミの花は、名前からは想像もできないような愛らしい姿で、葉はハート形。他にも、こんな所にこんな植物が、という姿を目にしました。
香りをお届けできないのが残念です。
この季節、庭の手入れを熱心にされているお宅では、美しい満開のバラが誇らしげに咲いています。そうです、今は、バラがいちばん見事に咲く時期。きっと皆様の中にも、お庭で、心を込めて、バラの花を育てていらっしゃる方も多いことと思います。そして、香水のようなバラの香りに、うっとりとされていることでしょう。バラは、目で見て楽しみ、そして香りにもうっとりする花の代表ではないでしょうか。
バラの園芸品種は、数万ともいわれていますが、私が携わっている、切り花の世界でも、バラは他の花に比べて品種の数が断然多く、市場で流通しているものだけでも200品種を越えるといわれています。バラの花を知らない方はいらっしゃらないでしょうし、バラを置いていない花屋さんは皆無に近いくらい、多くの人々から愛されている花です。
切り花のバラは、園芸品種に比べると香りが弱いのですが、中にはうっとりするくらいに香るバラがあります。品種によって、香りの強いものと弱いもの、そしてほとんど香りのしないものがあるのです。また、バラの香りといっても多様で、先ほど申し上げたような香水を思わせる香り(いわゆるダマスク系といわれる香り)から、少し趣の異なるものまで、科学的には大きく分けて10種類に分類されるようです。この文章とともに、香りをお届けできないのが、本当に残念で仕方ありません。
濃いピンク色のバラがイヴ・ピアッチェ。
香りのよい切り花のバラで、私が真っ先に思い浮かべるのは、イヴ・ピアッチェ、イヴ・ミオラ、イヴ・シルバ等の“イヴシリーズ”です。まるでシャクヤクを思わせるような、ぼってりとした豪華な花姿のバラたちです。花びらは70〜80枚あるでしょうか。イヴ・ピアッチェは、濃いピンク色で、1984年のフランス生まれ。時計メーカーのピアジェに捧げられたバラとされています。その、イヴ・ピアッチェを親として、花色がさらに甘く、抜けるようなピンク色のイヴ・ミオラが、そして、シルバーホワイトに近いピンク色のイヴ・シルバが、日本で誕生しました。その後、オフホワイトの中心に淡いピンク色を浮かべる、イヴ・シャンテマリーが、そして、上品なピンク色のイヴ・クレールが、優雅な香りとともに、日本で誕生しています。まるで、若草物語の四姉妹のような“イヴシリーズ”のバラたち。きっとこれからも、香りを分かち合っていくかのように、姉妹が増えていくことでしょう。
他にも、香りのよいバラは数多くありますが、私の印象ですと、イヴシリーズの様な、オールドローズを思わせる、ぽってりしたタイプのバラが多いように思いますが、必ずしもそうとは限りません。
香りのよい花で、とのご依頼を受けたアレンジ。
先日の母の日に「香りのよい花を入れて、落ち着いた雰囲気で…」とアレンジメントのご依頼を受けました。季節感を考えると、やはりバラ。そこで、シックでエレガントな濃い紫色の“イントゥリーク(通称リーク)”を入れたアレンジメントをお作りしました。咲き方は一般的な形ですが、顔を近づけると、ほどよく優雅な香りに、気持ちがうっとりとしました。そのアレンジは、目で見て楽しむ花姿だけでなく、香りとともに、母の日のよいプレゼントとなったようです。
さて、そうしてプレゼントされたバラも、日にちが経つにつれて、少しずつ香りが弱くなっていくのは、少し残念なのですが、私はそういうバラを、最後に思う存分満喫して、別れを告げています。実は、枯れる寸前まで咲いたバラを、花首で切ってお風呂に入れて、香りを楽しむのです。香りのよいバラですと、数輪お風呂に入れるだけでも、夢心地になるほど。本当に優雅な気持ちに浸ることができる至福のひとときです。バラ数輪でも、そんな風に幸せな気持ちになれるのも、花の不思議な力のおかげなのでしょう。
私たちは、目、つまり視覚からだけではなく、匂い(嗅覚)、そして音(聴覚)からも、花や自然の力を感じています。
ドイツの有名な花の学校Weihenstephan(国立花き芸術専門学校)では、1本の木を1年間観察し続ける、という課題があるそうです。1本の木を観察し、季節による変化をとらえ、理解することが、植物に対する知識を深め、花の仕事に携わる上でより一層役立つことなのでしょう。そこでは、視覚による観察とともに、季節の音も聞こえてきそうな気さえします。今頃であれば、葉がそよそよと風になびく音。秋であれば落ち葉の舞う音。
ここ数年、私は、鳥たちのさえずりに、春を感じるようになりました。アトリエで、1人静かに仕事をしている3月頃、まだかなり肌寒い日々の中で「今日は少しだけ暖かいかしら」と感じるような日には、こんな都会でも、必ずといってよいほど、鳥のさえずりが聞こえることが多々あります。そして、それはまさに、ヴィヴァルディ作曲の「四季」“春”の中で奏でられているメロディーを思わせる、さえずりなのです。鳥のさえずりを音楽にできるなんて、やはり作曲家はすごい、と思うと同時に、きっとヴィヴァルディが生きていた300年前の時代には、自然の音をもっともっと身近に感じることができていたのだろう、とも思ったりしています。
忙しい毎日、自然の移り変わりを見逃してしまいそうですが、何気なく通っている場所をほんの少しゆっくり歩いて、新たな自然の発見をしてみたり、香りや音を感じる数分間を過ごすのも、また、花の不思議な力の新たな発見ができるのかもしれません。
〜花の香りにかかわるワンポイントアドバイス〜
バラの香りは、ほとんどの方が、よい香りと認識なさると思いますが、香りの強さによっては、残念ながら、あまり心地よいと感じない匂いもありますね。カサブランカという品種に代表されるオリエンタル系のユリは、香りが強いことで知られていますね。香りがよい、と感じる方と、きついと感じる方がいらっしゃるのではないでしょうか。また、お部屋が暖かいと、さらに香りがきつくなりますから、その点も少し注意が必要でしょう。春の花であるヒヤシンスやパンジーは、切り花の出回り時期が冬ということもあり、暖房をしている室内では、一層香りが強くなりますね。また、ジャスミンや、夏に出回るチューベローズ等は、独特な甘い香りで、少量でもお部屋全体がその香りでいっぱいになるほど。また、この季節ですとクロユリも大変独特な匂いがします。花をプレゼントなさる時、特に御見舞の花の場合は、見た目だけでなく、香りにも気を配って花選びをしたいですね。視覚だけでなく嗅覚も効かせて、というところでしょうか。