第20回
私の目の前に、たくさん付箋を貼られた「自己破産申立書」の書類が差し出された。東京地方裁判所13階の待合室で、延々と待たされた挙句、やっと呼び出しを受けた私に、
「この書類は受理できません」
と、受付をしてくれた中年の女性が言った。
「やはり個人でやるのは難しいんじゃないですか? こんなに不備があるんじゃね。弁護士さんに頼んだらどうですか」
つき返された書類を前に呆然としている私に向かって、受付の女性は重ねて言った。
購入した本を手本に、自分なりにひとつひとつちゃんと書き込んできたものが、何故「不備だらけ」なのか、私はきちんと知りたいと思った。
「弁護士に頼むつもりはありません。書き直してきますので、不備な点を教えてください」
そう言った私に、受付の女性はそれと分かるようにはっきりとため息をつき、面倒くさそうに説明を始めた。
付箋のひとつめは、「破産宣告申立書」ではなく、添付書類のひとつである「通帳のコピー」に付いていた。
「通帳のコピー」は、預金のある全ての銀行の通帳、過去2年分を用意することになっており、私の場合それはふたつの銀行で、それぞれ通帳2冊分、計4冊分になった。その通帳の表紙から、現在記載されているところまでをコピーするのだが、付箋が付いていたのはM銀行の1冊目に当たる通帳の1ページ目だった。
「ここのページのコピーが薄いので、やり直してきてください」
受付の女性はそう言って、付箋がついたページを差し出した。確かにそのページは他のページと比べるとインクの色がかすんでいるが、全く読めないと言うほどではなく、しかも2年より前の日付のものだった。こんなにたくさんの付箋がつけられるほど、私の書類は間違いが多かったのだろうか。そう不安に思っていた私は、最初に言われた問題のあまりの細かさに、心底驚いた。
次に付箋がつけられていたのは、書類を書くときに疑問に思った「現金」の部分であった。私はそこに書く「今もっている現金」の金額を、「申立に必要な経費を足して書くべきかどうか」というのが分からず、空白にしていたのだが、そこを書き込むようにと言われたのだ。
「ここに書くのは、申立費用を足した金額でいいんですか」
そう私が尋ねると、
「そうですね。どっちの方がいいかしら。じゃ、申立費用を足したほうを書いておいてくれる」
と、受付の女性が答えた。その言い方からすると、特に決まりはないのだと言うことが窺われた。
その他の付箋の付いた部分のほとんどは、「海外旅行へ行った」「パソコンを持っている」など、お金の使い方や、財産とみなされるようなものについての記述の部分で、このように書いてあると、「破産申立が成立しない可能性がある」ということと、「破産管財人が入る可能性がある」と説明された。それは私が、書類を書く上で疑問にも、不安にも思った部分であり、やはり正直に書いてしまったことで、「自己破産」が出来ないかもしれないと暗澹たる気持ちになった。それでも、一度書いてしまったものを、次に持ってきたときに訂正してきたら、この女性はそれを受理してくれるのだろうか。
個人で自己破産の手続きをやろうとする人が少ない以上、次に来たときに私のことを覚えている可能性は高く、海外旅行へ行った事実や、パソコンを持っていることなどを削除してきたら、それは嘘を書いた書類とみなされるのではないのか。しかし逆に考えると、決して「感じがいい」とは思えない態度ではあるが、この女性は私に、「どう書けば自己破産ができるか」ということを教えてくれているとも思える。いずれにしてもコピーをし直したり書き直したりしていては、今日中にもう一度提出するのは無理だと判断し、私は返された書類一式を持って、地方裁判所を後にした。
付箋を付けられたものは、大きく分けて2種類あった。ひとつはコピーが薄いとか、チェックの場所が違うとか、空白であるなどの「書式」に則っていないというもの。もうひとつが「これでは破産宣告はされない」と思われる「内容」についてのもの。このうち前者は、正しく書式に則って書き直せば済むのでそうすれば良いのだが、問題は「内容」のほうである。
先にも書いたが、ここで「では破産宣告してもらえるように、書き直す」とした場合、次に地裁へ行ったとき、その点をあの受付の女性が言ってくるということはないのか。
「この間は海外旅行へ行ったことがあると書いてあったのに、今度はないと書いてますが、どういうことですか」
そう聞かれるかもしれない。
嘘を書いていると思われれば心証がよくないことは間違いないだろう。あの受付にいる人たちが「破産宣告」をしてくれるわけではなく、書類を見た裁判官が判断するとはいえ、やはり裁判所の人の心証を悪くしては損なのではないか。しかし付箋まで貼って注意されたことを、全く直さずに提出するのでは、一体何のためにあの女性が教えてくれたのか、その意図を汲んでいないということになるのではないか。
どこも直さずに提出すれば、また同じところに付箋を貼られ、
「これでは自己破産できません」
と言われるだけではないのか。
私は散々悩み、「こうしよう」と明確に答えが出せぬまま、とりあえず「書式」の誤りについては全て直し、「内容」については、多少の手直しをして、再び提出することにした。手直しと言っても海外旅行に行ったのは、兄弟が外国に住んでいるためで、費用は交通費しかかからなかった旨を陳述書の方に書き足したり、パソコンは3台のうち1台をすでに処分したというふうに書き直しただけだった。
月末になる前に何とかして「自己破産」の手続きを終わらせたい。書類さえ受理されれば、「受理番号」というものをもらえる。その番号を明記して債権者に送ることで、少なくとも借金の支払いから逃れることが出来るのだ(実際は債務がなくなるわけではなく、債権者は債権を取り立てる権利を失わない。しかし、「私は自己破産の手続きをしています」と債権者に知らせることが出来るので、多少催促が収まる場合がある)。もしも自己破産が出来るのなら、一日でも早くやってしまいたいと考えていた私は、書類を書き直すとすぐに、再び地裁へ出かけた。
前回同様、13階の待合室で待たされ、同じように後から待合室に入って来た弁護士さんに順番を追い抜かれ、散々待たされた。そして同じ中年の女性に呼ばれて受付に入っていた私は、
「この書類は受け取れません」
と再び書類をつき返されたのだった。