Kimono Master 山龍の和-ism指南

Kimono Master 山龍
Kimono Master 山龍

第16回 お茶と着物は静止の美学

お茶のある日常

最近、訪ねた先で立て続けにお茶席に招かれた。茶道がらみの仕事で行ったわけでもないのに、お茶室がある……というのも不思議な話なのだが、着物に関係する仕事をしていると、なるほど、こういうこともあるのか、という感じである。

原宿のユナイテッド・アローズのサロン『束矢倶楽部』の茶室。お茶を点てているのは、作家でありジャーナリストの中島渉氏。普段から、着物姿の多い方です。不作法な私に、笑顔でいろいろ教えてくださいました。
原宿のユナイテッド・アローズのサロン『束矢倶楽部』の茶室。お茶を点てているのは、作家でありジャーナリストの中島渉氏。普段から、着物姿の多い方です。不作法な私に、笑顔でいろいろ教えてくださいました。
並んでいるお茶器は、全て中島氏が集めたもの。
並んでいるお茶器は、全て中島氏が集めたもの。
一度は、セレクトショップのユナイテッド・アローズのサロン『束矢倶楽部』に行ったときのこと。原宿本店の4階にあるサロンには、なんと奥にオープンのお茶室があるのだ。

「実は私、学生の頃茶道研究会に入ってまして……」

とポロリとカミングアウトしたら、さっそく「どうぞ」という話になってしまった。大学を卒業してから、一度も茶室に足を踏み入れたことがなかったのでさあ大変! どこに座るんだっけ? どっちの足から入るんだっけ?

「あ、適当にそこに座ってください」

と、亭主の優しいひと言に救われ、炉を挟んで座ると、何となく落ち着いてきた。着物を着ていたせいか、お茶をいただく所作が、我ながら板に付いているような錯覚に陥り、図々しくも、勧められるままに2杯いただいてしまった。熱めのお抹茶はとても美味しかったし……。

もう一度は、着物の下着ブランド『サラサ デ サラサ』の展示会でのこと。デザイナーの伊丹宗友さん(女性です)が茶道家でもあるので、お茶室のある会場での展示会だった。しっかりお庭もあるお茶室だったが、こちらもとてもカジュアルなお席で、楽しくお話ししながらのお茶はやはり美味しく、ここでもお代わり。

茶道というと、とにかくいろいろ決まりがうるさくて、恥をかきたくなければ、近寄るべからず……というイメージがあるが、「お茶でもいかがですか?」「ではいただきます」という、シンプルなお茶の席は、とても居心地がよく、ただ名刺交換して仕事の話をするよりも、とても心が和んだ。

山龍も、表千家の茶道を学んではいるが、基本的には「お茶は美味しく飲めればいい」という。

「お茶でいろいろ仰々しいことを学ぶのは、木札という、まあ、柔道の段みたいなものやね。その木札をもらうことを目指はる人だけでエエ話。柔道やる人がみんなオリンピック目指すちゃうやん? それと同じで、根底に流れるものさえ学べばあとは自由でエエ」

茶道の根底に流れるモノとは、日本人としての礼節である。千利休が“茶は人なり”と言ったように、見ず知らずの人がいきなり3畳の茶室に入って対峙したときこそ、その人となりが出ますよという話なのである。

「テクニカルなものを学べば、それで知ったような勘違いしてる人が多いんよ。感謝とか礼儀という根底に流れるものを学ばんと意味ないな」

なるほど! 今回の山龍はカッコイイぞ、師匠!!

山龍の茶室伝説

お茶の席というと、着物もいろいろうるさくいわれるため、何を着て行ったらいいかわからないという声をよく耳にする。

「本来は、“短冊に花一輪”いうて、着物を着た人も茶室の中の道具と見立てて、短冊(一輪挿し)に花(着物を着た人)が一輪挿してあるようは装いが基本なんよ。目立たずに存在感のある装いいうこっちゃ」

しかし、この“目立たずに存在感のある装い”というのが難しい。そこを山龍流にかみ砕いていうと、ごちゃごちゃと柄の入っていない着物に、ビカビカ光らない帯を合わせよ、ということだという。もし、座ったときに膝頭に柄のある着物であれば、邪魔にならない布(白いハンカチ)などを掛けて、柄を隠せばよいそうだ。

「紋を入れた色無地であれば、いちばん問題ないんやけど、先染め(織る前の糸から染めてある織物)の色無地はなかなか手に入らへん。後染め(織った後で染めた織物)やと、お茶の場合、動きで膝を酷使するから、膝下の色が剥げて、ズズ汚くなるねん。そういう先生が多いな(笑)」

紬がダメ、大島がダメ、絞りがダメなど、巷では囁かれているけれど、山龍は「そんなん、なんでもOK!」といい切る。ただし、大島は絹擦れの音がするのでうるさいといわれるから要注意。

「大島は、長時間正座しとったら、膝が抜けるしな。絞りも、絞った部分が潰れてしまうやろ。そういう意味では、アカンとかアクとかいう意味じゃなくて、着んほうが自分のためやいう話」

なるほど、実に論理的! 真綿紬などは、柔らかくシワになりにくいので、お茶席にはオススメだという。

色は、基本的には中間色。床や畳、壁の色に近いトーンがベストだそうだ。それより濃い色目は着ないほうがよいとか。いうなれば、街でカッコイイ着物というのは、お茶室には合わないということなのである。

「座って美しく見える、茶室用の着物は、街ではダサイで。そのかわり、立って美しく見える着物は、茶室で座ると貧相やし。これはいたしかたない」

和室のある家が少なくなった今の時代、茶室は究極の異空間。だからこそ心地よい緊張感があり、また癒されるのだろう。その空気に満たされるために、お茶用の着物を仕立てるのも、自分への投資なのかもしれない。着物を着てお茶をたしなむことから、自然に身に付く所作は、日本人として忘れてはいけない大切なものの一つだと思う。

「今の子らは、お辞儀をするときに、ピタッと止まって頭を下げ、そこで一度静止してから、頭を上げるという所作ができへんやろ。動きを要所要所で止める所作が茶道なんよ。静止の美しさを学ぶのが、着物や茶道のよさなんちゃう?」

納得! さすがですね。
ちなみに山龍の、伊丹宗友さんのお茶席でのこと。ダウンにジーンズという出で立ちで展示会に行った彼。茶室が結構寒く、ダウンの下が半袖ということで、ダウンを着たまま茶室に入り、足をくじいているため、あぐらにて失礼。おまけに、出されたお茶菓子があまりに美味しかったため、甘いものに目がない山龍は、一気に8個(!)完食。

「もう、伝説ですね(笑)」

笑顔で話す宗友女史こそ、広い心を持ったお茶人の鑑だと思います。

(2008.1.15)