不景気のせいか、最近ピッキングによるこそ泥がはびこっているらしい。私の住んでいるマンションも、5年前に完成し、入居者たちが引っ越してきて1か月もたたない内に、1階2世帯に泥棒が入った。マンションの周りのフェンスや窓には赤外線の防犯装置が設置され、24時間警備員が常駐しているにもかかわらずである。
さっそく理事会で大騒ぎになった。ここにも防犯装置を付けろだ、やれ鍵だ、監視カメラはどうだとか、言い出したら切りがない。そのくせ、定例総会で決を採ってみたら、「ウチは10階だから、そんなもん関係ない。管理費を一部の人のために使うのか?」なんてわがままを言うヤツはいるし、挙げ句の果てに、肝心な1階の住人が、一人も総会に出席していないという信じられない事実が発覚し、国会さながらの怒号が飛び交った。全く、大人ってヤツは……である。
その後検討を重ね、5年の間に、あちこちに鍵やカメラが増えて、安全の度合いは増したけれど、出入りがいちいち面倒なマンションになっている。入り口のオートロックが、キーだけでなく、4桁の暗証番号で開けられるようになっているのだが、その番号も、半年ごとに変わって、管理人から各戸に知らされる。やっと語呂合わせを暗記したの頃に変わるので、ときどきわけがわからなくなる。夜中に玄関のオートロックの前で、
「イチゴナミ(1573)……は前の番号だった。えっと、ニナヨク(2749)だったっけかな〜〜?」
と、ブツブツ言っている怪しい女、それは私で〜す!
鍵と言えば、麻布十番に住んでいた頃、鍵でえらい目に遭ったことがある。それは、爽やかな五月晴れの日だった。朝から自宅で原稿書きに没頭していた私は、空腹で、自分が昼ご飯も食べずにワープロを叩いていたことに気づいた。時計を見たら、もう午後1時半だった。面倒だから、サンドイッチでも買ってきて、食べながらやろうっと……。私はお財布を手にすると、起きたままのボサボサ頭を隠すためにキャップを目深にかぶり、スッピンにジャージというお仕事モードのまま、サンダルをつっかけて外に出た。
とたんに、入り口のドアが「バタン!!」と大きな音を立てて、勢いよく閉まったのには、ちょっとビックリした。そうだ! 天気がいいのでベランダのガラス戸を開け放ち、空気の入れ換えをしていたのだった。そのままで来てしまったので、入り口を開けたと同時に、風が通り抜けたのである。こういう経験って、誰にでもあるでしょう?
扉にしっかり鍵をかけて、私は近くのパン屋へ行き、サンドイッチとコロッケパンを買って、すぐに戻った。よれよれの姿はなるべく人に見られたくない。パン屋の袋を小脇に抱えて、鍵を開け、さあ、ご飯だ! ご飯だ! と扉を引っ張ったとき……「ガツン!」……予想もしなかった抵抗が右腕に伝わってきた。あれ? ドアが開かない! 慌ててもう一度引っ張ってみたが、5センチほど手前に引いたところで、また「ガツン!」。鍵は確かに開いているのに……。
どうしたのだろう? とドアの数センチの隙間から中をのぞいて、私は愕然とした。玄関のドアには、鍵の他にドアガードという、チェーンがわりのアームが内側からかけられるようになっていたのだが、それがパタンとみごとにかかってしまっているではないか! いったい誰がかけたのか?
と、そのときハッと思い出した。出かけるときの、あの激しい閉まり方……も、も、もしかして……。そう、考えられるのはそれしかなかった。激しく閉まったときの勢いで、ドアガードが動いて、かかってしまったのである。うっそ〜〜っ! ドアをガタガタやったり、指で隙間から押してみたりしたが、そんなことで開くくらいだったら、付いてる意味がない。さすがドアガード、偉いぞ!……おっと、感心してる場合ではない。
しばらくあれこれやって疲れ切った私は、管理人に助けを求めることにした。
「これは、ロックサービスに来てもらうしかないですよ。電話してあげましょう」
と、管理人はやけに段取りが早かった。これまでに同じことをやらかした住人が2人いたと聞いて納得。一応、上の階のお宅のベランダの避難ばしごで、ウチのベランダに降りるのはどうか?という強行手段を提案してみたが、危険だからやめてください! と、即、却下された。確かに、こんなことで死にたかない。
仕方なく、鍵を開けてくれるロックサービスに電話してもらった。来るまでに1時間もかかると言うので、私は管理人室でサンドイッチとコロッケパンを食べながら待つことにした。
管理人の入れてくれたお茶をすすりながら、
「いやあ、最近の鍵はいろいろ危ないですね〜」
などと、主婦の井戸端会議みたいな話に花が咲いた。危ない、の意味がちょっと違うような気がしたが、まあよい。3時頃になって、やっとロックサービスが来た。背が高くてジャニーズ系のちょっとカワイイ兄ちゃんだった。鍵開け屋というと、紺かグレーの作業服を着て、スゴイ工具の入ったケースなんか持って来るのだろうと想像していたが、その兄ちゃんは、Gパン姿で、しかも手ぶら。どうも説得力に欠ける佇まいであった。やる気あんのかよ!
「何も持ってないの? 工具とかドライバとか、道具がなくていいの?」
部屋に案内しながら、それとなく聞いてみる。
「はあ。たぶん、特には……」
私の聞き方がそうとう怖かったらしく、鍵開け兄ちゃんは、なんかモゴモゴ言っている。おいおい、大丈夫かよ、こいつ! 私の不安は、ますます大きくなった。
部屋の前に着くと、兄ちゃんはドアを引っ張って、「ああ、やっぱり……」と小さくつぶやいた。だからさあ、ドアガードがかかっちゃったって言ってんだろうが! と、鼻息が荒くなるのを押さえて、「壊すしかないでしょ?」と聞いてみた。
すると兄ちゃんは、それには答えず、ポケットから1本のひもを取り出したのだ。荷造りに使う、ポリプロピレンの普通のひもだ。こいつ、ますます怪しい。
「ひもなんか使うの!?」
それにも答えず、兄ちゃんはそのひもをかすかなドアの隙間から中に入れ、何やらごそごそやっていたかと思うと、ドアガードのアームに通して、しっかり結びつけた。そして、そのひもをドアの縁に沿ってずりずりと上まで持っていき、そのままドアの上の縁を滑らせて、蝶番側の角まで持っていったのだ。ドアガードのアームに結んだひもの端っこが、ドアの上からツルッと顔をだしている状態だ。そして、そのひもをいきなり横にツンツンと引っ張ったのである。首を少し傾けて、手に伝わる感触を確かめるような表情を見たとき、うむ、こやつ、意外とできるな! と直感的に思った。気のせいか、眼差しも精悍に見えてきた。
何度かツンツンとやったとき、彼の目がキラリと光った……ような気がした。そしてその瞬間、な〜んと、みごとにドアが開いたのである。
「うあわっ! すっごい!」
思わず私は大声をあげていた。確かにひもなら、ちょっとした隙間でも通せるし、角度的に上斜めから引っ張れば、アームは手前に動かせる。完全にアームが戻らなくても、ドアガードは外れる。あったまいいじゃん! パチパチパチ!
兄ちゃんはちょっと照れた笑いを浮かべ、
「こういうのは、この方法がいちばん確実っスね」
などと、ボソボソっと俯き加減で言った。さっきまでは、やる気のないバイトの兄ちゃんかと思っていたが、その横顔はプロのものだと確信した。無口なその道のプロ! という、北方謙三の小説に出てくるようなタイプに、私はかなり弱い。
「でもね、ただのひもだと、ありがたみ薄くない? もっとしっかりしたひもの先に細いワイヤーを付けて、それっぽいのを作ったら?ほら、ただトマトを冷やして切っただけなのに、小料理屋じゃ、こ洒落たお皿にきれいにスライスして“冷やしトマト¥800”なんてメニューになってるでしょ。あれと同じことね」
私はすっかり調子に乗って、酸いも甘いも知り尽くした大人の女の顔で、ちっとばかり助言してやった。兄ちゃんは、
「はあ、そうっスね。でもこのひもがいちばん薄くて、隙間に入りやすいんスよ」
と、あまり興味なさそうに言って、しっかり5000円の手数料取って帰っていった。う〜ん、負けた! 場数を踏んでるヤツにはかなわない。
しかし、鍵開け名人の兄ちゃんは、大きなミスをひとつ犯している。そう、私もしっかり、開け方マスターしちゃったもんね〜〜。
ドアガードがかかって閉め出されてしまった方、ご連絡ください!
さっそく理事会で大騒ぎになった。ここにも防犯装置を付けろだ、やれ鍵だ、監視カメラはどうだとか、言い出したら切りがない。そのくせ、定例総会で決を採ってみたら、「ウチは10階だから、そんなもん関係ない。管理費を一部の人のために使うのか?」なんてわがままを言うヤツはいるし、挙げ句の果てに、肝心な1階の住人が、一人も総会に出席していないという信じられない事実が発覚し、国会さながらの怒号が飛び交った。全く、大人ってヤツは……である。
その後検討を重ね、5年の間に、あちこちに鍵やカメラが増えて、安全の度合いは増したけれど、出入りがいちいち面倒なマンションになっている。入り口のオートロックが、キーだけでなく、4桁の暗証番号で開けられるようになっているのだが、その番号も、半年ごとに変わって、管理人から各戸に知らされる。やっと語呂合わせを暗記したの頃に変わるので、ときどきわけがわからなくなる。夜中に玄関のオートロックの前で、
「イチゴナミ(1573)……は前の番号だった。えっと、ニナヨク(2749)だったっけかな〜〜?」
と、ブツブツ言っている怪しい女、それは私で〜す!
鍵と言えば、麻布十番に住んでいた頃、鍵でえらい目に遭ったことがある。それは、爽やかな五月晴れの日だった。朝から自宅で原稿書きに没頭していた私は、空腹で、自分が昼ご飯も食べずにワープロを叩いていたことに気づいた。時計を見たら、もう午後1時半だった。面倒だから、サンドイッチでも買ってきて、食べながらやろうっと……。私はお財布を手にすると、起きたままのボサボサ頭を隠すためにキャップを目深にかぶり、スッピンにジャージというお仕事モードのまま、サンダルをつっかけて外に出た。
とたんに、入り口のドアが「バタン!!」と大きな音を立てて、勢いよく閉まったのには、ちょっとビックリした。そうだ! 天気がいいのでベランダのガラス戸を開け放ち、空気の入れ換えをしていたのだった。そのままで来てしまったので、入り口を開けたと同時に、風が通り抜けたのである。こういう経験って、誰にでもあるでしょう?
扉にしっかり鍵をかけて、私は近くのパン屋へ行き、サンドイッチとコロッケパンを買って、すぐに戻った。よれよれの姿はなるべく人に見られたくない。パン屋の袋を小脇に抱えて、鍵を開け、さあ、ご飯だ! ご飯だ! と扉を引っ張ったとき……「ガツン!」……予想もしなかった抵抗が右腕に伝わってきた。あれ? ドアが開かない! 慌ててもう一度引っ張ってみたが、5センチほど手前に引いたところで、また「ガツン!」。鍵は確かに開いているのに……。
どうしたのだろう? とドアの数センチの隙間から中をのぞいて、私は愕然とした。玄関のドアには、鍵の他にドアガードという、チェーンがわりのアームが内側からかけられるようになっていたのだが、それがパタンとみごとにかかってしまっているではないか! いったい誰がかけたのか?
と、そのときハッと思い出した。出かけるときの、あの激しい閉まり方……も、も、もしかして……。そう、考えられるのはそれしかなかった。激しく閉まったときの勢いで、ドアガードが動いて、かかってしまったのである。うっそ〜〜っ! ドアをガタガタやったり、指で隙間から押してみたりしたが、そんなことで開くくらいだったら、付いてる意味がない。さすがドアガード、偉いぞ!……おっと、感心してる場合ではない。
しばらくあれこれやって疲れ切った私は、管理人に助けを求めることにした。
「これは、ロックサービスに来てもらうしかないですよ。電話してあげましょう」
と、管理人はやけに段取りが早かった。これまでに同じことをやらかした住人が2人いたと聞いて納得。一応、上の階のお宅のベランダの避難ばしごで、ウチのベランダに降りるのはどうか?という強行手段を提案してみたが、危険だからやめてください! と、即、却下された。確かに、こんなことで死にたかない。
仕方なく、鍵を開けてくれるロックサービスに電話してもらった。来るまでに1時間もかかると言うので、私は管理人室でサンドイッチとコロッケパンを食べながら待つことにした。
管理人の入れてくれたお茶をすすりながら、
「いやあ、最近の鍵はいろいろ危ないですね〜」
などと、主婦の井戸端会議みたいな話に花が咲いた。危ない、の意味がちょっと違うような気がしたが、まあよい。3時頃になって、やっとロックサービスが来た。背が高くてジャニーズ系のちょっとカワイイ兄ちゃんだった。鍵開け屋というと、紺かグレーの作業服を着て、スゴイ工具の入ったケースなんか持って来るのだろうと想像していたが、その兄ちゃんは、Gパン姿で、しかも手ぶら。どうも説得力に欠ける佇まいであった。やる気あんのかよ!
「何も持ってないの? 工具とかドライバとか、道具がなくていいの?」
部屋に案内しながら、それとなく聞いてみる。
「はあ。たぶん、特には……」
私の聞き方がそうとう怖かったらしく、鍵開け兄ちゃんは、なんかモゴモゴ言っている。おいおい、大丈夫かよ、こいつ! 私の不安は、ますます大きくなった。
部屋の前に着くと、兄ちゃんはドアを引っ張って、「ああ、やっぱり……」と小さくつぶやいた。だからさあ、ドアガードがかかっちゃったって言ってんだろうが! と、鼻息が荒くなるのを押さえて、「壊すしかないでしょ?」と聞いてみた。
すると兄ちゃんは、それには答えず、ポケットから1本のひもを取り出したのだ。荷造りに使う、ポリプロピレンの普通のひもだ。こいつ、ますます怪しい。
「ひもなんか使うの!?」
それにも答えず、兄ちゃんはそのひもをかすかなドアの隙間から中に入れ、何やらごそごそやっていたかと思うと、ドアガードのアームに通して、しっかり結びつけた。そして、そのひもをドアの縁に沿ってずりずりと上まで持っていき、そのままドアの上の縁を滑らせて、蝶番側の角まで持っていったのだ。ドアガードのアームに結んだひもの端っこが、ドアの上からツルッと顔をだしている状態だ。そして、そのひもをいきなり横にツンツンと引っ張ったのである。首を少し傾けて、手に伝わる感触を確かめるような表情を見たとき、うむ、こやつ、意外とできるな! と直感的に思った。気のせいか、眼差しも精悍に見えてきた。
何度かツンツンとやったとき、彼の目がキラリと光った……ような気がした。そしてその瞬間、な〜んと、みごとにドアが開いたのである。
「うあわっ! すっごい!」
思わず私は大声をあげていた。確かにひもなら、ちょっとした隙間でも通せるし、角度的に上斜めから引っ張れば、アームは手前に動かせる。完全にアームが戻らなくても、ドアガードは外れる。あったまいいじゃん! パチパチパチ!
兄ちゃんはちょっと照れた笑いを浮かべ、
「こういうのは、この方法がいちばん確実っスね」
などと、ボソボソっと俯き加減で言った。さっきまでは、やる気のないバイトの兄ちゃんかと思っていたが、その横顔はプロのものだと確信した。無口なその道のプロ! という、北方謙三の小説に出てくるようなタイプに、私はかなり弱い。
「でもね、ただのひもだと、ありがたみ薄くない? もっとしっかりしたひもの先に細いワイヤーを付けて、それっぽいのを作ったら?ほら、ただトマトを冷やして切っただけなのに、小料理屋じゃ、こ洒落たお皿にきれいにスライスして“冷やしトマト¥800”なんてメニューになってるでしょ。あれと同じことね」
私はすっかり調子に乗って、酸いも甘いも知り尽くした大人の女の顔で、ちっとばかり助言してやった。兄ちゃんは、
「はあ、そうっスね。でもこのひもがいちばん薄くて、隙間に入りやすいんスよ」
と、あまり興味なさそうに言って、しっかり5000円の手数料取って帰っていった。う〜ん、負けた! 場数を踏んでるヤツにはかなわない。
しかし、鍵開け名人の兄ちゃんは、大きなミスをひとつ犯している。そう、私もしっかり、開け方マスターしちゃったもんね〜〜。
ドアガードがかかって閉め出されてしまった方、ご連絡ください!