よりどりみどり〜Life Style Selection〜


思い出のThe Phantom of The Opera

今から20年ぐらい前のことだ。
ファッション誌で某アイドルの連載インタビューを書いていた私は、彼のデビュー7周年記念ニューヨーク・ファンクラブツアーという、何やらものすごいツアーに同行し、生まれて初めて、ミュージカルというものを観た。ツアーの中に組み込まれていたもので、好きな作品を一つ選べるのだ。このとき、ブロードウエイでは、『キャッツ』や『コーラスライン』を上演していた。

もともと、あまりミュージカルに興味のなかった私は、「『コーラスライン』のダンスシーンは素晴らしいぞ!」という、その道の通のアドバイスで、とりあえず『コーラスライン』を選んだ。その選択自体は、今でも間違ってはいなかったと思う。しかし、問題は、ミュージカルを観に行った日だった。なんと、ツアーのスケジュールでは、ミュージカル鑑賞がニューヨークに到着したその日の晩だったのだ。

寝不足と時差ぼけで朦朧とした頭で、ミュージカルなんて観るもんじゃないね。特に『コーラスライン』はいけない。歌とダンスがメインだから、大丈夫なのでは……と思うでしょう? それが大間違いなのだ。『コーラスライン』はミュージカルのコーラスダンサーのオーディションの話。いろいろな過去や、家庭環境、希望や不安を抱えたダンサー達が17人も登場し、冒頭はそれぞれ自分がどんな人間かを語るシーンから始まる。もちろん、英語です。

私は、なんとかストーリーに置いて行かれないようにと気合い充分だった。必死に英語を理解するべく、全神経と、全脳みそをステージに注いだ挙げ句、時差ぼけの頭はアルファベットという麻薬で麻痺し、開演15分ぐらいでついに気を失い、爆睡してしまったのだ。そして、何やらにぎやかなので目を覚ますと、ステージの上では華やかなダンスシーンが繰り広げられ、浦島太郎状態でポカンとしている間に、拍手喝采の中、幕が下りてしまった。

何てこった! 後で聞いたら、『コーラスライン』は、何と言っても後半のダンスシーンが最大の見せ場なのだそうだ。それなのに、見所のダンスシーンを見逃し、どこどこの田舎から出てきてどうのこうの、というセリフの部分しか観てない私って……。ふん、ミュージカルなんて、ち〜っとも面白くないわい! ってなわけで、私のブロードウエイ初体験は、文字通り、夢のまた夢で終わったのだった。

そんな私が、再びブロードウエイを訪れたのは、その数年後の1989年だった。

メインの目的は、『STEEL WHEELS TOUR』で全米をツアー中のローリング・ストーンズのステージを、シェイスタジアムで観るためであったが、一緒に行った友達が、ニューヨークは初めてだったため、ミュージカルも観たいと言い出したのだ。

ブロードウエイでは、ちょうどその前の年から、アンドリュー・ロイド・ウエーバー作曲・演出の『The PHANTOM of the OPERA』が始まり、トニー賞7部門を総なめして話題になっていた。チケットはなかなか手に入らないという話だったが、そのへんは業界のコネで素早くゲット。

『オペラ座の怪人』と言えば、ガストン・ルルーの名作小説である。1925年に映画化されているが、私の中では、『ノートルダムのせむし男』とか『ジキル博士とハイド氏』と並ぶ、モノクロゴシック調怪奇作品の一つという印象しかなかった。オペラ座の話だから、歌もオペラ? だとしたら、また寝ちゃうかもなあ……。初体験のトラウマがあるので、どうも気が乗らない。ただ、一応ストーリーがわかっているのと、ステージセットの仕掛けがスゴイ、という話なので、まあ、それだけでも観る価値はあるかなという部分が救いだった。

確かこの時は、もう1本、元POLICEのスティングが初めて主演して前評判だけ凄かったナントカ(タイトルさえ忘れた)というミュージカルを先に観て、あまりにつまらなくて、翌日観る予定だった『The PHANTOM of the OPERA』は、やめようかと思った記憶がある(ちなみにスティング主演のミュージカルは2週間で打ち切りになったらしい)。

まさに、何の期待もせずに観た『The PHANTOM of the OPERA』。しかし、これが、信じられないくらい素晴らしかったのである。コンサート以外のステージで、これほど感動したのは、このときが初めてだったと思う。ストーンズのコンサートを見にニューヨークに来たのも、『The PHANTOM of the OPERA』の情報を知ったのも、チケットがすぐ手に入ったのも、雑誌の仕事をしていたからこそ。ああ、この仕事をしていて本当によかった! と心から思ったくらいだ。

上演劇場は、ブロードウエイの劇場の中でも、特にクラシックな趣のある『マジェスティック劇場』。ミュージカルは夜の8時とか9時に始まるので、みんな夕食を済ませ、ドレスアップしてやって来る。ロビーにはバーコーナーがあるので、そこでカクテルなどを飲みながら、開演を待つのだ。もちろん、私たちは、優雅に夜を楽しむニューヨーカーを横目で見ながら、そそくさと座席に着いた。さすがコネで取ってもらったチケット、劇場の中段ど真ん中の素晴らしい席だった。オペラハウスを小さくしたような劇場は、なかなかいい雰囲気だ。そう言えば『コーラスライン』のときのことは、劇場の名前はおろか、インテリアや雰囲気すら記憶に残っていない。

そして開演。場面は、朽ち果てたパリのオペラ座で開催されたオークションのシーンから始まる。ステージの真ん中に大きなシャンデリアがあり、オークショニストが声高らかに叫ぶ。

「これが、あのオペラ座の怪人で名高いシャンデリアです!」

もちろん英語だから、これで正しいかどうかわからないが、とにかく最後に「The PHANTOM of the OPERA!」と叫び、それをきっかけに、あのファンファーレのようなテーマ曲のオーバチュアが鳴り響き、いきなりステージのシャンデリアが、ダーッと客席の頭上まで飛んでくる。正確には、細いひもでスルスルと引っ張り上げられているのだが、本当に飛んできたみたいな迫力で、すっかり度肝を抜かれてしまった。

ここで既に、目も耳も心もステージに釘付けである。とにかく全編を通して、そのステージセットの仕掛けは、実に見事だった。怪人の声が劇場のあちこちから響いたかと思うと、ステージの天井近くに姿を現したり、仮面舞踏会にいきなり怪人が現れたり、消えたり。地下の水路をゴンドラで行くシーンは、ステージの床の上に霧のようにスモークがたちこめ、ゴンドラが滑るように進んでいく。たぶん、レールの上を動いているのだろうが、その動きの滑らかさには、うっとりしてしまうほどだった。

セットや美術だけでなく、役者も素晴らしかった。怪人役のマイケル・クロフォードの歌唱力は、言語を越えて胸に響いた。ラストで、愛しいクリスティンに、報われない思いを切々と歌い上げるシーンでは、メロディと歌声だけで、涙が溢れたくらいだ。

ミュージカルって、なんて素晴らしいの! すっかり感動した私は、終演後、劇場の隣にあるグッズ売り場で、さっそくCDと、3Dブックを買った。3Dブックというのは、いわゆる飛び出す絵本みたいなやつで、ページを開くと、各シーンが立体的に現れるのだ。おまけに、ICチップ内蔵で、オーバチュアのメロディまで流れ、ロウソクがピカピカ光る。これで$19.95は安かった。

『The PHANTOM of the OPERA』の人気は衰えることなく、いまだにロングランを続けているようだ。私は、その後も、ニューヨークで2回、ロンドンで2回観た。劇団四季も上演しているし、今年の正月には、ミュージカルと同じアンドリュー・ロイド・ウエーバーが音楽を担当した映画が公開されて、日本でも注目を浴び、あのドラマティックなテーマ曲は、車のCMにも使われている。『The PHANTOM of the OPERA』マニアとしては、実に喜ばしいことである。

最近、ふと思い出して、16年前に買った3Dブックを開いてみた。う〜ん、あのときの感動が甦るなあ。そうそう、音も出るのであった。さっそく、ラストページのオルガンの絵の横のつまみを引っ張ってみると……フニ〜〜フニフニ〜〜フニフニ〜〜♪ ヒエ〜ッ! 息も絶え絶えな情けない音。そりゃあ、16年もたてば、電池もなくなるわ。

こりゃあさっそく、新しい3Dブックを買わなくちゃね。これで、ブロードウエイに6度目の『PHANTOM of the OPERA』を観に行く口実ができました!