2週間ほど前、突然高熱を出して倒れてしまった。
頑丈な体、図太い精神が売り物の私だったので、自分でもビックリした。翌日、熱は37度ちょっとに下がったので打ち合わせに出かけたら、夕方からまたフラフラ。このあたりで、自分の体調不良をしっかりと認め、ちゃんと休めばよかったのだが、その翌日にコンサート取材に出かけたりしたもんだから、回復しかけてはまた具合が悪くなりをくり返し、4日目には、頭痛と強力な吐き気で丸1日寝込む羽目になってしまった。苦しい〜〜〜!
「どこか悪いのかもしれないから、病院で検査したほうがいいよ。私が一緒についてってあげるから」
親友のY子がとっても心配してくれた。さすがの私も、なかなか良くならない体が不安になり、
“そうだ! 明日の朝、病院に行こう!”
と決心を固めたら、5日目の朝に、完全復活した。たぶん、数年分の蓄積疲労が一気に襲いかかってきたのだろう。20代の頃も、疲れが溜まって胃が食べ物を受け付けなくなったことがあったが、1日寝れば、何事もなかったように復活してしまうのが自慢(?)だった。それが、今では5日もかかる。いつまでも若くないんだぞということを、あらためて思い知った。
そう言えば、今年は誕生日月に無料で受けられる「区民健康診断」というやつを、うっかり受け忘れていたなあ。
もともと私は大の検査好きである。定期的に1日人間ドックを受けて、数値や写真や表やグラフになって上がってくる検査結果に胸躍らせていた時もあった。日頃は全く意識していない自分の体のメカニズムが解き明かされるのって、すごくワクワクしませんか? 本当は、胃カメラだとか内視鏡検査だとか、エコーとか、映像で見ることができる検査にもチャレンジしたかったのだが、「要再検査」というはんこが押されていないと、そこまで突っ込んだ検査はしてもらえない。というか、する必要がない。
ところが、数年前に1度だけ突然そのチャンスが訪れた。区民検診の大腸ガン検査のところに、「要再検査」の赤いはんこがペタッと押されていたのである。憧れていたはんこ……のはずが、実際に押された紙が届いたら、やはりかなりビビった。そりゃあそうだ。もしかしたら、大腸ガンかもしれないということなんだから。検査好きなどと言って、ヘラヘラしていた己の自信過剰ぶりが恥ずかしくなった。♪遊びじゃないのよ検査は、ハッハ〜〜ン! である。
ドキドキしながら、初めて消化器科へ行った。医者が紹介状と検査結果を見ながら言う。
「なるほど……。では、ちょっと診てみましょうか」
おっ、来た来た、触診ですね。大腸検査の触診ってやつは、いきなりお尻の穴に指を突っ込まれる、という自分のアイデンティティを根底から崩されかねない診察ので、知らないで行くとかなりショッキングなものである。私はたまたま友達から聞いていたので、心の準備はできていた。
私に大腸検査の衝撃を教えてくれた友達は、何も知らずに会社の定期検診で大学病院へ行き、インターンも見守る中でこの洗礼を受けてしまったのだそうだ。横向きに寝ると、突然何の予告もなく指を突っ込まれ、「ヒャ〜〜! やめて〜!」と思ったという。と同時に、目の前に並ぶ若いインターンの男性数人と目が合い、「もう、殺してくれ〜!」と思ったと、涙目で語っていた。
幸い私の目の前には年配の看護婦さんしかいなかったし、何よりも、“大腸ガンかもしれない”という思いが、羞恥心を踏みつぶしてくれた。
「特に心配はありませんが、ポリープの可能性もあるので、内視鏡検査もしましょう」
医者も、淡々とした口調で言う(当たり前である)。消化器科とか肛門科の医者は、こうやって見ず知らずの人のお尻に指を突っ込んで、ときどき“何で自分はこんなことやってんだろう?”と思わないのか?……と、一瞬思ったが、そういうことを考えたら、病院なんて2度と行けない。
さて、次はいよいよ内視鏡検査だ。これも、下から内視鏡を挿入し、大腸の中にするすると通して、カメラで腸の中を見るというものだが、触診を経験していれば、もうどうってことないわい! テレビの健康番組でその映像を見たことがあるが、実際に自分の腸の中を見るのは、やっぱりちょっとワクワクしてしまう。ポリープがあった場合は、その場で器具を通して切除するらしいから、もしかしたらそんなミラクルなシーンも見ることができるかもしれないのだ。この時点で、「大腸ガン」の不安が「ポリープ」にすり替わっているあたり、やはり私は脳天気なヤツだなと思う。
しかし、この内視鏡検査には、思わぬ試練が待ち受けていた。
検査に丸1日かかるのだと聞いて、何か嫌な予感はしたのだ。内視鏡で調べるのは30分ぐらいだというのに、何でそんなにかかるのだろうか?
とりあえず送られてきたパンフレットに従い、検査の前日は早めに食事をとり、下剤を飲んで寝た。朝はもちろん何も食べることができない。そして、午前10時に病院へ。行きつけの、家から7〜8分のところにある総合病院なので、ちょっとしたお散歩気分だ。
受付を済ますと、同じ日に大腸の内視鏡検査を受ける人4人と一緒に、大きなテーブルのある部屋に連れて行かれる。テーブルの上には人数分の大きなペットボトル入りの黄色い液体と紙コップが並んでいた。
「はい。じゃあ、この2リットルの下剤を、全部飲んでください。飲みにくいと思いますが、1時間の間に飲み終わればいいですよ」
看護婦さんが笑顔で言う。
な〜んだ、朝食はいきなり下剤かい。こんなの、チビチビ飲むより、グイッと行っちゃったほうがいいのになあと思った私だが、一口飲んで、あまりの不味さにもどしそうになった。これが試練の始まりだった。ジュースやコーヒーのように、美味しいものであれば、ちょっとガボガボにはなるけど、2リットルぐらいはなんとか飲める。水でもOK。しかし、マズイ液体は、喉というか、消化器系統が一斉に拒絶するのである。グイッとなんて、とてもじゃないけど飲めない。コップに移して少しずつ無理矢理流し込む。なるべく違うことに意識をもっていき、何気なく飲み込むのがコツなのだが、ふと我に返ると、すぐにウゲッとなる自分と闘うのが、それはそれは苦しい。
半分ぐらい飲んで、うんざりしているヤツ。ムキになっていちばんに飲み干し、意気揚々と部屋を出て行くヤツ。まるで入試会場のような雰囲気だった。たっぷり1時間かけ、私は何とか3番目ぐらいに飲み干すことができた。
と、ホッとする間もなく、次なる試練が訪れた。今度はいきなりお腹が痛くなってきたのだ。早くも下剤が効いてきたのである。慌てて病院のトイレに駆け込む。飲まされた液体は、下剤というより、腸を洗浄する薬品なので、飲むとそのまま腸にあるモノを巻き添えにして、勢いよく流れるのだという説明を受けたが、まさにその通りだった。早い話が、これから3時間かけて、検査までに腸の中にあるモノを残らず全部下から出せ、ということなのである。
待合室とトイレの往復は、結構辛かった。もしトイレがふさがっていたら? という不安もあり、気が気でない。家が近い人は、1度家に戻って出直しもいいと言われたが、途中がちょいと心配である。それでも私は意を決して戻ることにした。しかし、マンションの入り口でまたまた腹痛。エレベーターで上がる11階までの遠かったこと。家の鍵を開けて、靴をはいたままトイレに飛び込んだのは、後にも先にもこのときだけだ。辛うじて間に合ったけど。
朝から思いも寄らぬことだらけだったので、午後になって実際に内視鏡検査を受けるときには、すっかり根性が座っていた。検査着に着替え、軽い麻酔を打たれて、腸を膨らます炭酸液を飲み、いざ検査室へ。
横向きになって検査台に乗ると、さっそく内視鏡を差し込んでいく。80センチくらいのチューブを入れていくのだが、麻酔が効いているのか、思ったより痛みはなかった。看護婦さんが画面を見ながら、私のお腹を押したりして、チューブが進んでいくサポートをしてくれる。あんなとぐろを巻いた腸の中を、よくもまあひっかからずに進んでいくもんだと、プロの技に感心してしまった。
そしてモニターに映し出されたピンク色の自分の腸の中を見て、目が釘付けになった。すっかり空っぽになった腸は、ツヤツヤしていてとてもきれいだった。
「きれいな腸ですね。ポリープも見当たりません」
そんな医者の言葉も上の空で、私は自分の腸に見とれていた。この腸も私なんだ。頑張っている私なんだ。人体の複雑な仕組み、生命の神秘を改めて思い、感動した瞬間である。検査の結果、私の大腸は健康そのものであった。
たかだか腸の中を見ただけでも、あれだけ感動したのだから、脳のCT画像なんか見たら、スゴイだろうなと思う。人間は、哲学的、精神的に自分を知り、高めていくことを人生と呼んで生きている動物である。しかし、もっと単純に、自分が呼吸すること、食べること、寝ること、動くことの事実を見ることで、何か違う自分が発見できることもあるのではないかと、そのとき思った。負けても、勝っても、体は食べ物を消化し、酸素を吸い、血液を送り出して体を生かそうと頑張っているのだ。そんなからだが喜ぶ生活を、できれば送っていきたいものである。
頑張れ、私のからだ!
頑丈な体、図太い精神が売り物の私だったので、自分でもビックリした。翌日、熱は37度ちょっとに下がったので打ち合わせに出かけたら、夕方からまたフラフラ。このあたりで、自分の体調不良をしっかりと認め、ちゃんと休めばよかったのだが、その翌日にコンサート取材に出かけたりしたもんだから、回復しかけてはまた具合が悪くなりをくり返し、4日目には、頭痛と強力な吐き気で丸1日寝込む羽目になってしまった。苦しい〜〜〜!
「どこか悪いのかもしれないから、病院で検査したほうがいいよ。私が一緒についてってあげるから」
親友のY子がとっても心配してくれた。さすがの私も、なかなか良くならない体が不安になり、
“そうだ! 明日の朝、病院に行こう!”
と決心を固めたら、5日目の朝に、完全復活した。たぶん、数年分の蓄積疲労が一気に襲いかかってきたのだろう。20代の頃も、疲れが溜まって胃が食べ物を受け付けなくなったことがあったが、1日寝れば、何事もなかったように復活してしまうのが自慢(?)だった。それが、今では5日もかかる。いつまでも若くないんだぞということを、あらためて思い知った。
そう言えば、今年は誕生日月に無料で受けられる「区民健康診断」というやつを、うっかり受け忘れていたなあ。
もともと私は大の検査好きである。定期的に1日人間ドックを受けて、数値や写真や表やグラフになって上がってくる検査結果に胸躍らせていた時もあった。日頃は全く意識していない自分の体のメカニズムが解き明かされるのって、すごくワクワクしませんか? 本当は、胃カメラだとか内視鏡検査だとか、エコーとか、映像で見ることができる検査にもチャレンジしたかったのだが、「要再検査」というはんこが押されていないと、そこまで突っ込んだ検査はしてもらえない。というか、する必要がない。
ところが、数年前に1度だけ突然そのチャンスが訪れた。区民検診の大腸ガン検査のところに、「要再検査」の赤いはんこがペタッと押されていたのである。憧れていたはんこ……のはずが、実際に押された紙が届いたら、やはりかなりビビった。そりゃあそうだ。もしかしたら、大腸ガンかもしれないということなんだから。検査好きなどと言って、ヘラヘラしていた己の自信過剰ぶりが恥ずかしくなった。♪遊びじゃないのよ検査は、ハッハ〜〜ン! である。
ドキドキしながら、初めて消化器科へ行った。医者が紹介状と検査結果を見ながら言う。
「なるほど……。では、ちょっと診てみましょうか」
おっ、来た来た、触診ですね。大腸検査の触診ってやつは、いきなりお尻の穴に指を突っ込まれる、という自分のアイデンティティを根底から崩されかねない診察ので、知らないで行くとかなりショッキングなものである。私はたまたま友達から聞いていたので、心の準備はできていた。
私に大腸検査の衝撃を教えてくれた友達は、何も知らずに会社の定期検診で大学病院へ行き、インターンも見守る中でこの洗礼を受けてしまったのだそうだ。横向きに寝ると、突然何の予告もなく指を突っ込まれ、「ヒャ〜〜! やめて〜!」と思ったという。と同時に、目の前に並ぶ若いインターンの男性数人と目が合い、「もう、殺してくれ〜!」と思ったと、涙目で語っていた。
幸い私の目の前には年配の看護婦さんしかいなかったし、何よりも、“大腸ガンかもしれない”という思いが、羞恥心を踏みつぶしてくれた。
「特に心配はありませんが、ポリープの可能性もあるので、内視鏡検査もしましょう」
医者も、淡々とした口調で言う(当たり前である)。消化器科とか肛門科の医者は、こうやって見ず知らずの人のお尻に指を突っ込んで、ときどき“何で自分はこんなことやってんだろう?”と思わないのか?……と、一瞬思ったが、そういうことを考えたら、病院なんて2度と行けない。
さて、次はいよいよ内視鏡検査だ。これも、下から内視鏡を挿入し、大腸の中にするすると通して、カメラで腸の中を見るというものだが、触診を経験していれば、もうどうってことないわい! テレビの健康番組でその映像を見たことがあるが、実際に自分の腸の中を見るのは、やっぱりちょっとワクワクしてしまう。ポリープがあった場合は、その場で器具を通して切除するらしいから、もしかしたらそんなミラクルなシーンも見ることができるかもしれないのだ。この時点で、「大腸ガン」の不安が「ポリープ」にすり替わっているあたり、やはり私は脳天気なヤツだなと思う。
しかし、この内視鏡検査には、思わぬ試練が待ち受けていた。
検査に丸1日かかるのだと聞いて、何か嫌な予感はしたのだ。内視鏡で調べるのは30分ぐらいだというのに、何でそんなにかかるのだろうか?
とりあえず送られてきたパンフレットに従い、検査の前日は早めに食事をとり、下剤を飲んで寝た。朝はもちろん何も食べることができない。そして、午前10時に病院へ。行きつけの、家から7〜8分のところにある総合病院なので、ちょっとしたお散歩気分だ。
受付を済ますと、同じ日に大腸の内視鏡検査を受ける人4人と一緒に、大きなテーブルのある部屋に連れて行かれる。テーブルの上には人数分の大きなペットボトル入りの黄色い液体と紙コップが並んでいた。
「はい。じゃあ、この2リットルの下剤を、全部飲んでください。飲みにくいと思いますが、1時間の間に飲み終わればいいですよ」
看護婦さんが笑顔で言う。
な〜んだ、朝食はいきなり下剤かい。こんなの、チビチビ飲むより、グイッと行っちゃったほうがいいのになあと思った私だが、一口飲んで、あまりの不味さにもどしそうになった。これが試練の始まりだった。ジュースやコーヒーのように、美味しいものであれば、ちょっとガボガボにはなるけど、2リットルぐらいはなんとか飲める。水でもOK。しかし、マズイ液体は、喉というか、消化器系統が一斉に拒絶するのである。グイッとなんて、とてもじゃないけど飲めない。コップに移して少しずつ無理矢理流し込む。なるべく違うことに意識をもっていき、何気なく飲み込むのがコツなのだが、ふと我に返ると、すぐにウゲッとなる自分と闘うのが、それはそれは苦しい。
半分ぐらい飲んで、うんざりしているヤツ。ムキになっていちばんに飲み干し、意気揚々と部屋を出て行くヤツ。まるで入試会場のような雰囲気だった。たっぷり1時間かけ、私は何とか3番目ぐらいに飲み干すことができた。
と、ホッとする間もなく、次なる試練が訪れた。今度はいきなりお腹が痛くなってきたのだ。早くも下剤が効いてきたのである。慌てて病院のトイレに駆け込む。飲まされた液体は、下剤というより、腸を洗浄する薬品なので、飲むとそのまま腸にあるモノを巻き添えにして、勢いよく流れるのだという説明を受けたが、まさにその通りだった。早い話が、これから3時間かけて、検査までに腸の中にあるモノを残らず全部下から出せ、ということなのである。
待合室とトイレの往復は、結構辛かった。もしトイレがふさがっていたら? という不安もあり、気が気でない。家が近い人は、1度家に戻って出直しもいいと言われたが、途中がちょいと心配である。それでも私は意を決して戻ることにした。しかし、マンションの入り口でまたまた腹痛。エレベーターで上がる11階までの遠かったこと。家の鍵を開けて、靴をはいたままトイレに飛び込んだのは、後にも先にもこのときだけだ。辛うじて間に合ったけど。
朝から思いも寄らぬことだらけだったので、午後になって実際に内視鏡検査を受けるときには、すっかり根性が座っていた。検査着に着替え、軽い麻酔を打たれて、腸を膨らます炭酸液を飲み、いざ検査室へ。
横向きになって検査台に乗ると、さっそく内視鏡を差し込んでいく。80センチくらいのチューブを入れていくのだが、麻酔が効いているのか、思ったより痛みはなかった。看護婦さんが画面を見ながら、私のお腹を押したりして、チューブが進んでいくサポートをしてくれる。あんなとぐろを巻いた腸の中を、よくもまあひっかからずに進んでいくもんだと、プロの技に感心してしまった。
そしてモニターに映し出されたピンク色の自分の腸の中を見て、目が釘付けになった。すっかり空っぽになった腸は、ツヤツヤしていてとてもきれいだった。
「きれいな腸ですね。ポリープも見当たりません」
そんな医者の言葉も上の空で、私は自分の腸に見とれていた。この腸も私なんだ。頑張っている私なんだ。人体の複雑な仕組み、生命の神秘を改めて思い、感動した瞬間である。検査の結果、私の大腸は健康そのものであった。
たかだか腸の中を見ただけでも、あれだけ感動したのだから、脳のCT画像なんか見たら、スゴイだろうなと思う。人間は、哲学的、精神的に自分を知り、高めていくことを人生と呼んで生きている動物である。しかし、もっと単純に、自分が呼吸すること、食べること、寝ること、動くことの事実を見ることで、何か違う自分が発見できることもあるのではないかと、そのとき思った。負けても、勝っても、体は食べ物を消化し、酸素を吸い、血液を送り出して体を生かそうと頑張っているのだ。そんなからだが喜ぶ生活を、できれば送っていきたいものである。
頑張れ、私のからだ!