よりどりみどり〜Life Style Selection〜


たかが手帳、されど手帳

スケジュール帳と取材メモ用の手帳……自分で自分のスケジュールを管理し、あちこち走り回ったり、打ち合わせに出向いたりするという仕事の仕方をしてきた私にとって、この2つは必需品である。なくしたら、それはそれは大変。と言っても、松本清張の『黒革の手帖』みたいに、世の中をひっくり返すようなマル秘情報が書かれているわけではない。他人にはどうでもいいですよ〜〜♪ という走り書きばかり。でも私にとっては、自分の能力と時間をクリエイティヴへと導く青写真にも等しいものなのだ。

だから、手帳にはずっとこだわってきた。ところが、ここ数年、私が求めている「ちょっとオシャレで使いやすい手帳」というのが、本当に少ない。毎年、11月ぐらいになると、文具売り場には翌年のスケジュール手帳の新作がズラリと並ぶ。東急ハンズでも、LOFTでも、特別コーナーができるくらいの数だ。それなのに……それだけ選択肢があるにもかかわらず、私の求めている手帳はほとんどない!

世の中のスケジュール手帳の主流は、20世紀末から、間違いなくシステム手帳になった。イギリス製の『fiLOFAX』や、日本の『ASHFORD』など、高級な革製のカバーと、様々なレフィルからなるシステム手帳は、手帳売り場の中でも、「私たちはプロ仕様だもんね!」という自慢げな顔で並んでいる。でも、私はシステム手帳が大嫌い。

確かにシステム手帳は、手帳というものを文房具からお財布に等しいファッション雑貨の領域に昇進させた。その功績は認めます。でもね、あれってリング式のバインダーでしょう? あれがどうも許せないのだ。使い方に合わせてレフィルを自由に組み合わせる……というところが売りなのだから、リング式バインダーは当然。でも、あのリングは、手帳に書き込むときに、と〜っても邪魔なのである。特に、使用済みのページと残りページのバランスが悪いときは、ペンを持つ手がリングに当たって、内側のほうまで字が書けない。小学校で初めて字を習うときに厳しく教えられた、文字書きの基本ポジションに手を置けない。きれいに字が書けない。それだけで、もう嫌っ!

それに、1枚1枚のページがバラバラに外せるところが、これまた好きになれない。システム手帳をご愛用の方々には、「何言ってんだ、こいつ!」と言われそうな難癖の付け方で申し訳ないが、嫌いなものは嫌い。だって、スケジュールってさ、未来へ向かう長い道のりがまず想定されていて、そこに向かう自分の歩調を予想しながら具体的に立てていくものでしょう? 言うなれば、自分の人生という道に、道しるべを置いていくようなもの。

例えば、今、5月のページをめくって予定を書き込むのは、5月の自分に向けた希望のGOサインなのさ(ちょっと大袈裟ではあるが……)。それが、1枚1枚バラバラでつながっていないのは、何だかすごく優しくない気がするの。これってたぶん、デジタル化していく社会に対する、かすかな抵抗なのかもしれません。理屈では、リングだろうが、バラバラだろうが、外さなきゃ同じじゃん! という話。でも、人間本来のアナログ感が、NOと感じさせるのだ。なんとなく、嫌! とね。

そんなわけで、私はずっとブック式に綴じられた手帳を愛用している。左側が1週間ごとのスケジュール書き込みページになっていて、右側はメモ用の普通の罫線が入ったページ。スケジュール以外の、ちょっとしたメモや、スケジュールに関連した電話番号なんかはそこに書く。「○○くんがケガした」とか「東京に大雪」などというミニニュースもこのメモページに書いておくことにしている。そうすると、後で見返した時、

「ああ、この日は○○の撮影でスタジオに行くのに、雪が降って大変だったんだ。だから、帰りは送ってもらって、一緒にご飯食べて……」

といった具合に、日記のようにいろいろなシーンがよみがえる。うん、私のメモリーのキーワードってやつかな。

この手帳、月ごとにページの端の色が違っていて、それがとってもきれいで気に入っていた。毎年、カバーのビニールの色がいろいろ変わるのも楽しかった。サイズも、バイブルサイズより、ちょっと横幅があるところが、また使いやすい。システム手帳に押された結果、ブック式というと、能率手帳とかビジネス手帳といった、いきなりサラリーマン仕様になったものしかない中、これは実に優れものだった。ちなみに、ブック式の手帳で、フランス製のクオバディスが、雑貨ショップを中心に人気みたいだが、janvier(1月)、fevrier(2月)とか、lundi(月曜日)、mardi(火曜日)なんて書いてあってもねえ。やっぱり凡人には、Monday、Tuesday……ぐらいが限界。いやはや、実用度とオシャレ度のバランスって、意外と難しいですな。

さてこのお気に入りの手帳なのだが、去年の12月に2006年用を買おうと東急ハンズに行ったら、なぜかどこにも見当たらないではないか。もしや、売り切れ? 慌てて販売員に言い、メーカーのSony Creativeに問い合わせてもらったところ、な、な、な〜んと、製造中止になったというではないか。

「ええ! でも来年はまた作るっていうこともありますか?」
「いえ、一応その予定はないそうです」

そりゃそうだ、製造中止なんだから。ただでさえ選択肢がない中、何とか生きのびていたお気に入りだっただけに、私はものすごくショックだった。毎年、手帳の中に入っているご愛用者アンケートにも、どれだけこの手帳を気に入って愛用しているかという思いの丈をつづってエールを送っていたのに、もうちょっと頑張れよ、Sony Creative! もう、腹が立つやら悲しいやらで、しばし放心状態。

しかし、手帳がないと困る。しかたなく私は、とにかくこれに変わる物をと、ブック型の手帳のコーナーをいろいろ探し回った。オヤジ臭いものと、キャラクターが派手に描かれた、キャピキャピしたものばっかりで、クラクラしてくる。なんでこうなるかなあ、もっとシンプルでいいのに……。日本のステーショナリー業界も、もうちょっとデザインを何とかするべきだよなあ。っていうか、デザイナーは、どうしてもシステム手帳志向なのだろう。少数派の道を行くものに、世間の風は冷たいのだ。

と、気持ちがグレかかったとき、片隅に積まれたシンプルな手帳に目がとまった。中を見ると、左が1週間のスケジュール、右がメモページ。おお! これこれ! 月ごとにカラー分けされたオシャレさはないけれど、この際贅沢は言ってられない。表のカバーに、月ごとのカレンダーと、カード入れが付いていて、まあ、便利と言えば便利。迷うことなく、私はその手帳を手に入れ、現在愛用中だ。芸術点では、Sony Creativeのものより劣るが、技能点は引けをとらないから、まあまあかな。というより、たぶん私はこいつがまた製造中止という悲しい運命をたどらない限り、はたまた、この上を行く手帳が奇跡的に登場しない限り、今後ずっとこいつと付き合っていくことになるだろう。そんな相棒に敬意を表して、カード入れにはお宝のジョニー・デップ様のドライバーズライセンスカードを入れている(第51回『ジョニー・デップ命』参照)

ところで、最近、山手線の中で面白いものを見た。ドアの上のところあるモニターに、天気予報やコマーシャルの映像が流れているのをぼんやり眺めていたのだが、英会話学校のベルリッツの「ひとくち英語講座」。外国人講師がオーバーなアクションで説明する。

「Noteはメモ書きの意味、手帳はNoteではなく、Notebookですね」

そうそう、そうなのよ! と、思わず声がでそうになった。

システム手帳の感覚は、私にはNoteに近い。やっぱり手帳はNotebook、ブック型に限るのだ。