パーカー・ダムの建設とレイクハバスの誕生
3年の歳月をかけてはるばるイギリスから運ばれてきたロンドン・ブリッジ。
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そこで連邦政府はその湖周辺を民間企業の力で開発しようと考え、連邦政府所有の土地を1エーカー(1200坪)を78ドル(当時の為替計算で2万8千円)というただのような値段で売りに出したのです。
それに飛びついたのがロバート・マックロックという投資家でした。彼は湖の周囲(アリゾナ側)を広範囲にわたり買い占め、彼の開発のもとに1963年、レイクハバス市が誕生します。マックロックは連邦政府からただのような金額で得た土地を分譲し、売却するために、南カリフォルニアに住む金持ちに焦点を合わせ、飛行機代から宿泊代、食事も含むバケーションを無料で提供し、分譲した土地を次々と売却していきました。最初の1年間で稼いだ金額はなんと数百万ドルだったそうです。数年後、レイクハバスが満水になると湖の真ん中に大きな島ができました。その島をさらにリゾート地として開発しようと考えていたマックロックはその島と町を結ぶ「橋」が欲しかったのです。なんでもいいから何かユニークな話題性のあるものを町のアトラクションにしたいと考えていた矢先に耳にしたのがロンドン・ブリッジ売却の話だったというわけです。
ロンドン・ブリッジがレイクハバスへ
ロンドン・ブリッジが沈みはじめたのを発見してから6年後の1968年、マックロックしか入札しなかったロンドン・ブリッジは246万ドルで落札しました。テムズ川に架かっていたロンドン・ブリッジのひとつひとつのブロック(御影石)に番号がつけられ、橋の解体作業が始まりました。「世界最大の骨董品」は船で1万6千キロの長い道のりを船で幾度にも渡って運ばれ、つけられた番号通りに再建設されたのです。その輸送と再建設にかかった年数は3年、その費用は700万ドル(約25億円)に及んだそうです。1971年10月10日、オリジナルのロンドン・ブリッジがレイクハバスに架けられ、献納式が行われました。橋の周りにはイングリッシュ・ビレッジ(英国村)が作られ、ショップやレストランなどロンドンの雰囲気がそのまま楽しめる一帯となりました。雰囲気だけではなく、実際にレストランで出されるメニューや味付けもまさにイギリスそのもの。ビネガー(酢)をかけながらフライドポテトをほおばり、本物のロンドン・ブリッジを眺めると、まるでロンドンにいるかのような錯覚に陥ります。
橋の周囲にはイングリッシュ・ビレッジがつくられている。
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レイクハバスの人口は約5万人。観光客はつねに数万人いるといわれ、南カリフォルニアに住む億万長者達の巨大な別荘がたくさん建っている町。レイクハバスは全長72km。湖岸線が広がるレイクハバス州立公園ではボート遊びやジェットスキー、キャンピングなどのアクティビティが楽しめる。周辺にはゴルフ場も豊富にあり、中でも「ロンドン・ブリッジ・ゴルフ場」はお勧めのゴルフ場だ。レイクハバスはラスベガスから車で約2時間半、フェニックからは3時間、キングマンから南へ約1時間半のところにある。
http://www.pr.state.az.us/Parks/parkhtml/havasu.html
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