6月13日
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このあたりから、漠然とした体調の不良を感じ始める。
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7月2日
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この日あたりから頭痛が始まる。
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7月10日
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10年以上前の脳腫瘍の再発を疑い、T大学病院でMRI検査を受けることを決心。
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7月12日
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MRI検査。
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7月15日
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しつこい頭痛が続き、さすがに変だと感じ、2週間後のMRI検査の結果は待たず再度検査を受けることを決心。
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7月16日
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T大学病院でMRI検査。2か所に新たな脳腫瘍が見つかる。
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7月17日
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T大学病院の7階に入院。頭痛と共に歩行も困難になる。MRI検査の結果、小脳近くにニワトリの卵大と、ウズラの卵大のふたつの脳腫瘍を発見。
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7月19日
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病院でさまざまな検査が始まる。体調はどんどん悪くなり、嘔吐が始まる。
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7月24日
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詳しい検査結果を知らされる。難しい場所にあるので手術では取りきれず、取れない部分に対しては、化学療法を行なうとのこと。
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7月30日
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脳腫瘍摘出手術を受ける。正味8時間20分。90パーセントの腫瘍を摘出したとの報告。
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7月31日
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正午の面会で無事を確認。とても元気。その後、順調な回復を見せる。
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8月12日
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リハビリがスタート。
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8月16日
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摘出した脳腫瘍は、髄芽腫(ずいがしゅ・Medulloblastoma of Csrebellum)との報告を受ける。子供に多い腫瘍で、成人にできるのはたいへん珍しい。
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8月25日
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抗がん剤投与の前の輸液が始まる。
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8月26日
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第1回めの抗がん剤投与始まる。
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8月31日
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抗がん剤投与終了。食事がとれないので、点滴を追加。
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9月4日
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白血球の値が下がっているとの報告を受ける。徐々に食欲が戻ってくる。
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9月5日
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微熱が出る。
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9月7日
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口内炎が出る。
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9月12日
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白血球の値が正常値近くに戻る。微熱、口内炎もよくなる。抜け毛がひどくなる。
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9月26日
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漢方の『十全大補湯』が出る。
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9月29日
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抗がん剤投与の前の輸液が始まる。
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9月30日
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第2回めの抗がん剤投与始まる。
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10月1日
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前回以上に激しい嘔吐が始まる。
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10月4日
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元気が回復。食欲も少しずつ戻ってくる。
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10月6日
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37度以上の発熱がある。
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10月12日
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連日、37度以上の発熱と悪寒が続く。
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10月13日
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白血球の値が2000まで下がり、面会人に手の消毒とマスク着用が義務づけられる。
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10月17日
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微熱に下がり、食欲もだんだん回復。悪寒がなかなかとれず。
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10月29日
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抗がん剤投与の前の輸液が始まる。
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10月30日
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第3回めの抗がん剤投与始まる。頭に水が溜まっていて、水頭症の疑いがあるとの報告。化学療法の成果は上がっているという。
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10月31日
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深夜、嘔吐物誤飲のため肺炎を起こし、ICUに移動。
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11月1日
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ICUで誤飲性肺炎の治療のため、薬で眠らされる。
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11月4日
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38度を超える高熱が出る。
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11月6日
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ICUに入って初めてコミュニケーションを取る。意識ははっきりしている。
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11月7日
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呼吸器がつながって会話ができないため、ひらがなボードを使って会話を試みる。
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11月11日
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免疫力がかなり下がっているため、肺炎が治る可能性は低いとの報告を受ける。
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11月12日
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気道切開手術が行なわれ、口につなげていた呼吸器の管を喉につなぎかえる。
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11月15日
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かなり元気回復。ひらがなボードを使っての会話、筆談が活発になる。
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11月17日
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具体的な仕事の話をし、自宅に帰ってもいいという発言をするほど、元気回復。
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11月18日
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ICUからHCUに移動。きょうからテレビが見られるようになる。少し妄想のようなものが現れる。肺炎はかなりよくなっているとの報告。いずれ管を外し、会話ができるように進めてたいと医師が語る。もう少し回復すれば、自宅に帰る可能性もあるとのこと。
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11月19日
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鼻から管で胃に直接栄養を入れるようになる。同時にけいれん止めの薬も注入。
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11月21日
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悪寒がある。
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11月22日
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肺炎は改善されているが、頭が日に日にボンヤリしてきている様子がある。耳も聞こえにくくなり、文字が書けなかったり、物の名前を間違えたりする。
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11月23日
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たびたび妄想のような発言もあり、腫瘍の進行を疑う。
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11月25日
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かなり状況がよくなったと、胸のCTの検査結果の報告を受ける。脳の腫れは、注射で抑えているとのこと。妄想のような発言について不安を医師に伝えると、「ICUに長いこといると、ボケた感じになることがあります」と言われる。
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11月28日
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医師から腫瘍の進行をはっきりと告げられる。数日前に撮ったMRI画像には、明らかな腫瘍の影がいくつか写っていた。今後の治療の選択肢として、化学療法、放射線治療、免疫療法等をあげられるが、実際に可能なのは、免疫療法のみ。このまま何もしないと、あと1〜2か月の命と、宣告される。
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11月29日
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今後の治療法について医師から本人への説明、意志確認が行なわれたが結論は出ず。
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12月3日
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日によって反応は異なる。仕事の話には、はっきりとした反応を示すが、筆談はほとんどしなくなる。この日、喉の管をはずして会話を試みるが、あまりうまくいかない。
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12月16日
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HCUから7階の一般病室に移動。この日以来、足や手で呼びかけに答える日もあれば、1日中ぼんやりし、はっっきりコミュニケーションが取れない日も増えてきた。
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12月31日
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眠っていることが多くなる。大声をかけなければ、なかなか起きなくなってしまった。
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