Vol.54 ある“知られざる”舞踏会〜その14 本来の舞踏会の姿

大みそかは王宮の舞踏会が有名ですが、この年は小さな宮殿の年越し舞踏会へ参加しました。今でも、同じテーブルになった地元の人たちと連絡を取りあっています。
大みそかは王宮の舞踏会が有名ですが、この年は小さな宮殿の年越し舞踏会へ参加しました。今でも、同じテーブルになった地元の人たちと連絡を取りあっています。
かつて舞踏会は、王侯貴族の社交の場や、その子女たちがソサエティにデビューする場でした。それが、時代や制度の変遷とともにその姿は変わり、公に「ハイソサエティ」はなくなっても、それを受け継いだ「現代の社交界」にも、かつての香りは残っています。舞踏会は、同じような階級・家柄の若者たちが出会う場であることは、今も昔も同じで、今回参加した特別な舞踏会で、 それを実感したのでした。

考えてみると私たちは、意識をせずに日ごろから、同じ階級の人たちと集い、交流しているものです。そしてその傾向は、とりわけハイクラスといわれる人々に強いようです。彼らは貴族同士という暗黙の了解、同属意識、安心感をもって毎年、決まった社交の場に集まります。そして近況や情報を交換し、現代ではEメールや携帯電話でネットワークを保つとともに、さらに人脈を広げていくのです。

「マキコ、僕らはある意味、そのためにこの舞踏会に来ているといってもいいのです。今日あなたが見た舞踏会は、本来の姿なのですよ」と、最後に友人は教えてくれました。そして、私がいつも日本でお話ししていることですが、舞踏会は踊るためだけの場ではないということも、改めて実感したのです。

これまで、ウィーンで様々な舞踏会を見て参りましたが、今回の、「一般公開されていない、参加者限定の特別で小さな舞踏会」ほど、かつてのハプスブルグ帝国時代の香りと文化、歴史の中の舞踏会を、改めて感じた場はありませんでした。このような舞踏会に、お邪魔虫の私を連れていってくれた友人の伯爵に、感謝です。

先日ウィーンで、その友人から別の舞踏会の招待状をもらいました。もちろんその舞踏会も、一般公開されず、限られた人にしか招待状がこないものです。プログラムには、ハプスブルグ家末裔の方々はじめ、歴史上にもその名が出てくる貴族のお名前が並んでいました。「今年は日程の都合がつかなくて参加できなかったけれど、いずれ参加する時には、マキコも連れていってあげますよ」と友人がいうので、近い将来実現することを、楽しみに待ちたいと思っています。