ウィーン郊外の、一般公開されているお城を訪れてみました。
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帰る前に、友人の“伯爵”が「今夜の舞踏会の記念に」と、舞踏会のプログラムをくれました。その内容を読んでみると、主催は、以前にもご紹介しましたが聖シュテファン協会。「この舞踏会の収益金は、すべて協会に寄付されます」と最初のページにあります。
名誉庇護者(適切な日本語がわかりませんが、後援、というような意味かと思われます)は、舞踏会が開催された大使館の大使。舞踏会の名誉幹部には、聖シュテファン協会を代表して、男爵夫人と伯爵夫人の名があります。そして、私はこれまで幾多のウィーン舞踏会に参加したが、初めて目にしたお名前が並んでいました。「オーストリアのカール大公」、同じく「ゲオルグ大公」、そして「ミヒャエル大公」……この3人は、ハプスブルグ帝国最後の皇帝の孫にあたる方々なのです。実際に今夜、この舞踏会にいらっしゃったわけではありませんが、その名が名誉幹部として記されているだけでも、この舞踏会の格がわかるのでした。
次に、この舞踏会に実際に関わっている、名誉委員会メンバーや出資している方々のリストをみてみると、50余人中、侯爵が3人、伯爵14人、男爵1人。それら貴族の称号と重複する方もいますが、各国大使8人、領事3人そして大臣1人という方々が連なっています。すべて、肩書・称号入りフルネームで記載されているため、中にはとても長いお名前になっている方もいらっしゃいました。友人によると「この方たちのほとんどは、実際に舞踏会に参加していたはずだ」といいます。
今や、オーストリアに公には貴族制度がなくなり、100年近くが経ったとはいっても、やはりそういう方たちが集う世界が、いまだに存在しているという事実を肌で感じられて、とても興味深かったのでした。