一般人のコメントと同じ程度の記事なんて…

メディアというか、いわゆる旧来メディアのことだが、一般人の軽いコメントと同じ程度の記事しか書けないというイタイ印象をますます強く持つ。

一般人といってもフットボールフリークであったりサッカーファンではあるけれども、そうした人たちの試合中(もしくは試合直後)のライブ状態でのクイックリーなコメントというか反応に対して、何時間も丸1日も経過してもなお、それと同じ程度の内容の記事しかないんだもん。先日のユーロでのイタリアVSイングランドのPK戦でのピルロのチップキックでのPKだって、既に1人が失敗していたイタリアにとって流れを変える大きなモノだったぜっていう反応と全く同じ厚さ(薄さ)深さ(浅さ)しかない記事が、さも堂々と「記者」の「記事」として一般紙に掲載されているっていう程度。これじゃあメディアなんて、とてもとても言えない。ご立派な「記者」としての仕事をする前に、ちょこっとネットでも見て、感覚を磨いてみたらどうですかね。
ちなみにあのPK戦では、ピルロのチップキックの後、ブッフォンのセービング(PKをキャッチ)が凄かった。PK戦なんだからキャッチすることはないわけで、前へ弾けばよいのであって、それをガッチしキャッチしちゃったんだから。しかし、それがPK戦を決定づけたとは言わないし思わなかったし、フットボールフリークもファンも思わなかっただろ。PK戦もそんなもんではなんだよ。

そう言えば旧来メディアでなくても、現在はベガルタ仙台にいる柳沢敦がJ1で15年連続ゴールを決めたという記事をどっかで見たんだが、要は15年連続ゴールというのは三浦知良もなしえてないもので、中山と並ぶ偉大な記録だそうで、ゴールゲッターだけでない柳沢のパフォーマンスにもっと評価していいんじゃないか…的な内容だったが、へ?? 評価してるけどね。変なのは、日本社会はチームワークでのし上がってきたとか、近年の「成果主義」の導入によって「縁の下の力持ち」を評価しない世の中になったとか、妙な方向とシンクロさせてしまう。ムチャというか強引というか、ステレオタイプなジャーナリスト的なベクトルの記事構成・視点・着眼だが、論理的に破綻してますよ。挙句の果ては、付け焼刃な「シャドーストライカー」という言葉を引っ張ってきて、シャドーストライカーは「縁の下の力持ち」だとミスリードする。ほぇ~いつからシャドーストライカーはそういう意味になったんですかね。日本だけ?? 日本のジャーナリストなる世界のことだけのことらしい。完全に間違ってますよ。周囲の人も教えてあげなさいよ。

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