“現代のおとぎ話”、パリのデビュタント・ボールのレポートをお送りして参りました。デビュタント・ボールという古き良き伝統と、時代の最先端をゆくHCハウスにハイジュエリーという現代との融合は、今も中世からの伝統の形を守っているウィーンの舞踏会に比べ、パリらしい斬新さでした。
そして日本の(恐らくフランスにおいてさえも)日常からはかけ離れたラグジュアリー、究極のエレガンスという“非日常”が作り出していた夢の時間と空間に酔ってしまいそうな私ではありましたが、その一方で、私の心は華やかさ以外の、少々違ういくつかの側面にもありました。
ヨーロッパのみならずいろいろな国からのデビュタントたちが集まり、その中には、かつて戦争を繰り返していた国同士の王室にもつながる家系からのプリンセスや、自国だけでなく世界にも影響を与えたアメリカの家系もいる……そんな場がはからずも、ここ何年かで大変な苦労と苦痛を伴って進められているEU(欧州統合)の一端とも、ふと重なって見えたのは、私だけだったでしょうか。
しかも、欧米のみからではなくアジアからのデビュタントたちも堂々と参加、同世代同士ということもあり和気あいあいと交流をしていた光景が、EUからさらに発展した「地球統合」ならぬ、未来の地球の縮図であれば、という思いもあったのです。
13か国23人のデビュタントたち全員のご紹介はできませんでしたが、何人かは本当に“世が世なら、の現代のプリンセス”たち。けれども彼女たちは、王子様が探し出してくれるのを待つプリンセスでも、自分で職業や結婚相手を選ぶこともままならなかったほんの100年前までの上流階級の令嬢でももちろん、ありません。
生き方や価値観が多様化し、貴族制度もほぼ消滅してしまった現代において、ハイソサエティやセレブリティーといわれるのは、いわゆるロイヤルや(旧)貴族という世界からばかりでなく、ビジネスや芸術の世界で大成功を収めた方たちにも及んでいますが、そんな中においても、やはり特別なルーツを持つ家に生まれたデビュタントの彼女たち。
その重みについて尋ねるには、十代の彼女たちはあまりにも若かったのですが、いつか必ず自身のルーツや、かつて自分の祖先が国や、社会に行ってきたことをきちんと知り、理解したら、自分なりの使命〜ノーブレス・オブリージュ〜といったようなことを考える時も来るのではないかと思います。
そして、今回のデビュタントの一人に選ばれたように、“家柄”はじめ、自分を取り巻く環境、それらから享受してきた、そしてしてゆける幸せを受け止め、それをこれからの人生に、そしてきっと、社会に生かしていって欲しいと思うと同時に、“ノーブレス・オブリージュ”というのはもしかしたら、たとえ“ノーブル”な世界の住民ではなくても、自由に、裕福に、幸せに生きられる現代の先進国の私たちにも、課せられたオブリージュ(義務)とも、言えるのかもしれません。
そして日本の(恐らくフランスにおいてさえも)日常からはかけ離れたラグジュアリー、究極のエレガンスという“非日常”が作り出していた夢の時間と空間に酔ってしまいそうな私ではありましたが、その一方で、私の心は華やかさ以外の、少々違ういくつかの側面にもありました。
ヨーロッパのみならずいろいろな国からのデビュタントたちが集まり、その中には、かつて戦争を繰り返していた国同士の王室にもつながる家系からのプリンセスや、自国だけでなく世界にも影響を与えたアメリカの家系もいる……そんな場がはからずも、ここ何年かで大変な苦労と苦痛を伴って進められているEU(欧州統合)の一端とも、ふと重なって見えたのは、私だけだったでしょうか。
しかも、欧米のみからではなくアジアからのデビュタントたちも堂々と参加、同世代同士ということもあり和気あいあいと交流をしていた光景が、EUからさらに発展した「地球統合」ならぬ、未来の地球の縮図であれば、という思いもあったのです。
13か国23人のデビュタントたち全員のご紹介はできませんでしたが、何人かは本当に“世が世なら、の現代のプリンセス”たち。けれども彼女たちは、王子様が探し出してくれるのを待つプリンセスでも、自分で職業や結婚相手を選ぶこともままならなかったほんの100年前までの上流階級の令嬢でももちろん、ありません。
生き方や価値観が多様化し、貴族制度もほぼ消滅してしまった現代において、ハイソサエティやセレブリティーといわれるのは、いわゆるロイヤルや(旧)貴族という世界からばかりでなく、ビジネスや芸術の世界で大成功を収めた方たちにも及んでいますが、そんな中においても、やはり特別なルーツを持つ家に生まれたデビュタントの彼女たち。
その重みについて尋ねるには、十代の彼女たちはあまりにも若かったのですが、いつか必ず自身のルーツや、かつて自分の祖先が国や、社会に行ってきたことをきちんと知り、理解したら、自分なりの使命〜ノーブレス・オブリージュ〜といったようなことを考える時も来るのではないかと思います。
そして、今回のデビュタントの一人に選ばれたように、“家柄”はじめ、自分を取り巻く環境、それらから享受してきた、そしてしてゆける幸せを受け止め、それをこれからの人生に、そしてきっと、社会に生かしていって欲しいと思うと同時に、“ノーブレス・オブリージュ”というのはもしかしたら、たとえ“ノーブル”な世界の住民ではなくても、自由に、裕福に、幸せに生きられる現代の先進国の私たちにも、課せられたオブリージュ(義務)とも、言えるのかもしれません。