ウィーンの仮面舞踏会にて、ネコに仮装した私。「にゃ〜お」。
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ちなみに、舞踏会の形式も朝まで開かれる現代とは極めて異なっていました。電気がなかった中世の頃、ろうそくを灯しながらでしたから、舞踏会が開催できる長さにも限りがありました。そこでオーストリアの女帝マリア・テレジアは、最初に舞踏会場の半分だけを照らし、残りのろうそくで後半を照らして、より舞踏会の時間を長くしていたそうです。
18世紀後半になると、カドリールはより人気が高まってきました。私たちがウィーンの舞踏会で踊るカドリールの形は5つのパートから成っていますが、各パートは19世紀当時有名だったダンス教師たちの独自の振り付けが元になり、それにさまざまなカドリールや古典舞踊、バレエなどが合体されて出来上がったものといわれています。そして使われている曲はヨハン・シュトラウスのオペレッタ「こうもり」から来ていますが、これは、すでにできていた振付けに合うよう、19世紀後半になってアレンジされたものです。
グラーツの「仮面舞踏会」にて。ウィーンの仮面舞踏会より、衣装も仮面も本格的でした。
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日本カドリールダンス協会で時折、国内でカドリール講習会を開く時には私は、男性には「女性を優しくエスコートしてあげて下さい」、そして女性には「フランスの王侯貴族にでもなったような、優雅な気分で踊ってみて下さい」と、お話しています。もっともその“優雅”も、後のほうに進み、音楽が速くなるにつれ、そんなことは言っていられなくなるのですが……。