Vol.15 舞踏会ダンス「カドリール」その2 〜歴史はフランスから〜

ウィーンの仮面舞踏会にて、ネコに仮装した私。「にゃ〜お」。
カドリールの起源は、17世紀初めのフランスまで遡ります。それは当時、舞踏会で貴族や王家の人びとが踊るために作られ、一般人が踊ることは許されませんでした。カドリールはいわゆるグループダンスで、16〜17世紀にかけて踊られていたガボットやメヌエットなどの要素も多少含まれています。イギリスで踊られていたカントリーダンスの影響も入っていました。当時は、現在の社交ダンスのように男女が密着するスタイルは品がないとみなされていたため、上流階級の踊りはガボットなどのように、女性にはほとんど触れないものでした。

ちなみに、舞踏会の形式も朝まで開かれる現代とは極めて異なっていました。電気がなかった中世の頃、ろうそくを灯しながらでしたから、舞踏会が開催できる長さにも限りがありました。そこでオーストリアの女帝マリア・テレジアは、最初に舞踏会場の半分だけを照らし、残りのろうそくで後半を照らして、より舞踏会の時間を長くしていたそうです。

18世紀後半になると、カドリールはより人気が高まってきました。私たちがウィーンの舞踏会で踊るカドリールの形は5つのパートから成っていますが、各パートは19世紀当時有名だったダンス教師たちの独自の振り付けが元になり、それにさまざまなカドリールや古典舞踊、バレエなどが合体されて出来上がったものといわれています。そして使われている曲はヨハン・シュトラウスのオペレッタ「こうもり」から来ていますが、これは、すでにできていた振付けに合うよう、19世紀後半になってアレンジされたものです。

グラーツの「仮面舞踏会」にて。ウィーンの仮面舞踏会より、衣装も仮面も本格的でした。
踊りの中には、中世フランスの宮廷や貴族文化も彷彿とさせるような、ちょっとすてきなエピソードを見ることができます。それは「パターン1番」をはじめカドリールの随所に出てくる、シャノングレイスChain anglaise(イギリスの鎖)という名前の動きです。これは2組のカップルが、男女が交差するような形で場所を入れ替わるのですが、その際、もともとは男女が握手をする動作が入っていました。自分たちの向かいにいるカップルとすれ違い、異性と握手をする時に……そっと、小さな手紙を交換した、というのです。携帯電話もEメールもなかった時代。踊りの最中に、意中の異性と密かに手紙をやり取りする……。なんて上品で、少し危険で、しかもロマンティックではありませんか。

日本カドリールダンス協会で時折、国内でカドリール講習会を開く時には私は、男性には「女性を優しくエスコートしてあげて下さい」、そして女性には「フランスの王侯貴族にでもなったような、優雅な気分で踊ってみて下さい」と、お話しています。もっともその“優雅”も、後のほうに進み、音楽が速くなるにつれ、そんなことは言っていられなくなるのですが……。