Vol.30 「歴史息づくお城のプリンセス」その1〜“現代”のオーストリア貴族たち

木立の中のお城(写真提供・アルトシュテッテン城)
皆さまは、“プリンセス”という言葉の響きからどのようなことを連想されるでしょうか。

お城やドレス、王冠、華やかな舞踏会など……どれも“現代”の私たちにとってはおとぎ話の中のような世界。もちろん現代でも、日本を含む王室・皇室を持つ国々には、れっきとしたプリンス・プリンセスが存在しており、おとぎ話や中世の時代よりは“一般の”人々に近い存在となったといっても、やはり雲の上のような世界ではありますね。

ヨーロッパで、かつてその多くの地域を統治し神聖ローマ皇帝となり、一大帝国の栄華を誇った王家といえば、ハプスブルグ家。650年ほど続いたハプスブルグ帝国が1918年に崩壊して以降、オーストリアは共和国となりました。それにより人々は、“公式”には貴族の称号を使用することを禁じられたので、表立っての特権や、公の書類上で称号がつくことなどはないものの、やはり “非公式”には、残っているようです。

例えば、私のよき友人でありビジネスパートナーでもある、ウィーンのダンススクールのマティアス先生は、先祖代々宮廷の軍人家系である男爵家でハプスブルグ家の方とも親交がある……またある友人は、元々はポーランド系で今もその名が地名にも残る伯爵家……などです。そして現代では基本的には「普通の市民が誰でも参加できる」ウィーンの舞踏会において、そのような彼らのネットワーク間にのみ招待状が送られてくる、一般公開されていない舞踏会も実際には開かれているのです。私も伯爵の友人に連れて行ってもらった際、参加していた方たちを友人が紹介してくれると本当に、右も左も、伯爵やプリンセス、という方たちだったのです。

そして……それら貴族たちのトップとして数百年間、帝国に君臨していたハプスブルグ家の末裔の方たち。現在では公には“一般市民”として様々な生き方をされていますが、私が出会った方々、そこにはやはり、“帝国君主の末裔”ならではの人生を見ることができました。その中のお一人、歴史が息づくお城に住むプリンセスのお話を、次回ご紹介させていただきましょう。