古文書の中のお城(写真提供・アルトシュテッテン城)
|
まずはこのお城の歴史を、ご紹介いたしましょう。
13世紀にはすでに、このお城はオーストリアの古文書に登場しています。そして17世紀以降、ハプスブルグ皇帝やその一族によって所有されてきました。1889年に、当時の皇帝の甥であったフランツ・フェルディナンド皇太子が、このお城を継ぐことになります。
ハプスブルグ家皇位継承者となったフェルディナンド大公は、皇室の反対を押し切り、チェコ出身の伯爵令嬢をお妃としたため、いわゆる貴賎結婚とされてしまいます。そして妻や子どもたちはハプスブルグ家代々の霊廟であるウィーンのカプツィーナー教会皇帝納骨所には入れないことから、このアルトシュテッテン城の一角に、家族のための霊廟場所を作ったのでした。
フランツ・フェルディナンド夫妻のお墓
|
1982年には、故大公の常設博物館がお城の中に開設され、幸せだった大公家族や、当時のヨーロッパ各国の権力者たちなどと大公が一緒の貴重な写真が一般公開されています。また、いずれ皇帝の座を継ぐはずであった大公が、世界を旅して回った際の、当時としては非常に珍しい各国からのお土産の品々(日本へも寄港され、長崎から京都、東京など数週間、滞在されています)、そして大公の、遂には継承を実現することのなかった帝国の理想の世界地図なども展示されています。