Vol.44 ある“知られざる”舞踏会 その4 100年前からの精神を受け継いで

舞踏会に参加するために私が主宰するクライネ・クローネのメンバーでオーストリアに訪れた際、フランスの雑誌、マリー・クレールから取材を受けたことがありました。「日本人でありながら、わざわざウイーン舞踏会に参加する」ということが、雑誌的に興味深いことだったのかもしれません。この写真は、ウィーンのカフェに同行の皆様に集まっていただき、ブランチをしながらマリー・クレール誌の取材を受けているところです。(左手前は、オーストリアでの私のダンスの師匠であり、マリー・クレール誌取材のアレンジをしてくださったマティアス先生)
一般には公開されず、招待状が届いた人とその同伴者のみが参加できるという、ウィーンの「聖シュテファン舞踏会」。この舞踏会については、『ウィーンの謝肉祭』という本の中で、主催者の言葉が掲載されていました。

「この舞踏会で大切なことは、チャリティーです」

チャリティーであるということは参加費は有料です。チケットを舞踏会の主催である「聖シュテファン協会」から購入するのですが、その方法も他の一般の舞踏会とは違っていました。通常は、チケット購入の際に参加者の名前まで聞かれることはありません。けれどもこの舞踏会では、招待状を受け取った人が、参加人数だけでなく名前も協会に前もって連絡し、「このチケットはMr(あるいはMs)○○の分である」ということを確認の上、購入できるのだそうです。それだけこの舞踏会が、参加者を限定した、特別なものであるということがわかります。

この舞踏会、本によれば開催日は毎年「謝肉祭(キリスト教のカーニバル時期)の最後の土曜日」と決まっています。そして開催場所は、ウィーンの中心、1区にある某国大使館。もちろん、主催している協会の活動と関係の深い国です。そのため、「この大使館での舞踏会の開催は、(オーストリア=ハンガリー帝国時代に関連のあった国々にとり)政治的・歴史的な意味を持っている」のだと、『ウィーンの謝肉祭』の本には記述されています。

オーストリア=ハンガリー帝国が崩壊してから、約100年。日本でいえば明治時代の後期です。
“過ぎ去った時代の話”と言ってしまうオーストリア人もいるかもしれません。また、社会情勢もその間に大きく変わり、きっと協会の、慈善活動の対象も変わってきているはずです。それでも、“古きよき”時代からの“精神”ともいうようなものが、世代をこえても「舞踏会」という形で受け継がれている、そこに文化の深さの一片を感じられるように思います。

……もっとも、この舞踏会に参加する現代の若い世代の人たちが、そのような“精神”をどの程度理解しているのか、という点では少々、疑問かもしれませんが。

舞踏会の前置きが長くなりました。それでは次回より、参加当日のお話へとまいりましょう。