控え室で出番を待つキャサリン・アレキサンドラ・ケネディ嬢。
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祖父ロバート・F・ケネディは、その兄ジョンの政権中は司法長官を務め、マフィアなどの組織犯罪の撲滅に尽力、その後、上院議員になってからも、当時アメリカで問題となっていた人種問題や貧困撲滅などに積極的に取り組みました。1968年に大統領選に出馬しましたが同年、銃撃を受け、5年前の兄ジョンと同じ最期を遂げました。この事件も兄の暗殺と同じように多くの真実は藪の中となっているとのこと……。世の中のため正しいことをやっていこうとする者に敵は多い、というのはいつの世も運命なのでしょうか。
さて、“キック”ことキャサリンのソサエティー・デビューを飾ったのは、J.MENDELによる、チョコレートブラウン・シルクシフォンとジェットビーズのついたモスリンのドレス。知的な顔立ちの彼女に、上品なシンプルデザインのドレスが合っていました。アドラーがあわせたジュエリーは、ブラウンとホワイトダイヤモンドのネックレスとイヤリングでした。
キャサリンは現在、スタンフォード大学に在学して歴史を専攻、スペイン語と文化人類学も学んでいます。異文化に浸ることへの非常に強い興味から、ここ数年、夏にはエキゾチックな国々を一人で旅し、未知の世界・非日常の状態に自身をあえて置いてきました。例えばペルーでは、“聖なる谷”をたどっているうちに道に迷い、一晩を古いインカの小屋で過ごしたとか……その、少々度が過ぎるとも言えるほどの大胆さは、私が彼女の外見や、落ち着いた語り口から受けた印象からは少し連想しがたいものでもありました。
本番のデビュタント会場で、パートナーと共に花道を歩くキャサリン。
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ちなみにキャサリンは、アメリカにもデビュタント・ボールはあるけれど出たことはないそうです。でもデビュタントの伝統は、歴史的でもあるし楽しいこと、と言う彼女の、大叔母(ジョン・F元大統領夫人)であるジャクリーン・ケネディ・オナシスは、ちょうど60年前の1947年、ニューヨークでの“デビュタント・オブ・ザ・イヤー”だったのです。
そして今キャサリンには、父や祖父の足跡に続きながらも、彼女なりの計画があるようです。「世界を旅し、世界について書きたい。そしてそれを通じて、人権や環境保護といった地球的な問題の解決の一助となりたい」と、語っていました。そしてもちろん、このクリヨンでの舞踏会が、糖尿病や多発性硬化症への取り組みへのチャリティーであることに対しても、全面的に支持しているのです。
「あえて失敗を恐れない者のみが、偉業を達成することができるのだ」という祖父の言葉を受け継いで、キャサリン・アレキサンドラ・ケネディがこれからどう未来に羽ばたいていくのかに、私たちは期待したいと思います。