中田英寿が加わったオリンピック代表チーム、1999年秋の記憶。

昨日、香川の招集の件でオリンピック予選のことを書いたら、小野伸二のケガで中田英寿が加わった1999年秋のオリンピック代表チームのことが記憶に甦ってきて。

私が印象的なのは2つ。1つは、アジア最終予選が始まる前に韓国オリンピック代表チームと東京(国立競技場)でテストマッチ(お互いに壮行試合。最終予選は別グループ)をしたのだが、その試合から中田が加わり、既にイタリアで活躍中の中田は韓国選手を全く寄せつけず、それに引っ張られるように日本チームは4ゴール。4点めは中田の横パスを遠藤が蹴り込んだミドルシュートだった。ま、その後に余計な1点を失ってスコアは4-1だったけど。この試合の翌日は横浜国際でイランとのAマッチがあり、私たちは2夜続けて日本代表のユニフォームをスタンドから見たのであった。
ちなみに韓国オリンピック代表チームとは最終予選終了後(ともに出場権獲得)にソウルでも戦い、中田は当然この試合に呼んだりしなかったが、そっちも1-0で勝ったんだよね。

もう1つはアジア最終予選の初戦、アウェイのカザフスタン戦。カザフスタンは中田にはマンマークを付けてきて、それでも前半のうちに、ルーズボールにマンマーカーが少し中田を離してしまった瞬間、浮き玉を中田に渡し、胸トラップから短いドリブル、そして右足の低い弾道のコントロールシュートをゴール左隅に見事に決めたシーン。距離は20メートルはゆうにあったが、無駄な力みの抜けた実に美しいフォームで、しかも後ろからカザフスタンの選手がボディコンタクトしてきているのをものともせず、さすがにインターナショナルクラスのプレーだった。ちなみのこの試合は、後半(試合終盤)中田の右からのニアへのコーナーキックを稲本がダイレクトボレーでインサイドキックで合わせたボールがループシュートとなって決まり、2-0で勝ったのであった。

出場権を獲得したホームでのカザフスタン戦の方が、たぶん皆さんは記憶が鮮明なんじゃないかな。
1点先に取られてしまって、中田をトップに上げて中村俊輔をトップ下にポジション変更して平瀬の2ゴールで逆転し、最後は中村俊輔のフリーキックのゴールでダメ押しした試合。

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