2005年12月3日のJリーグ、川崎フロンターレVSガンバ大阪。
2020.05.18
DAZNの「Re-LIVE」で配信の一戦。
それまでの優勝クラブといえば、鹿島アントラーズ、ジュビロ磐田、あるいは横浜F・マリノス、、、といった顔ぶれから(初期のヴェルディ川崎って存在もあるが、まぁここでは…)ガンバ大阪、浦和レッズといった(適切な表現ではないかもしれないが)新興クラブの台頭が始まったと言えるかもしれない(新興ではないわな、「オリ10」なんだから…)ガンバ大阪の逆転優勝の最終節。
ガンバはこの後、2008年のACLで圧倒的な攻撃フットボールで文句なしの優勝を遂げるんだが、そこに向けて上昇かつ完成していっているところだろうか。
フロンターレは、今でこそ誰からも強豪として扱われるが、2005年はJ1へ再昇格しての1年め。それでも最終順位で8位に付ける健闘を見せたシーズン。翌2006年には2位に食い込む。
ガンバはまだ3バックのフォーメーションの時代。左ウイングバックには19歳の家長が居て、中盤は遠藤保仁、橋本にフェルナンジーニョ、2トップはゴールを量産したアラウージョ(アラウージョはガンバ大阪でのプレーはこの1シーズンのみ)と大黒。たいへん強力な攻撃陣。
それだけに後ろの負荷、負担はとても大きかったことを、この配信のゲストコメンテーターの大黒が語ってくれる。
今あらためて視聴すると、この当時はプレッシャーやボディコンタクトやインテンシティが軽いというか随分緩かったんだな…と。
それは日本のフットボールがパスサッカー、ショートパスを繋いだチキタカ風味を増していく中での現象(ないしは通過点)だったのか、、、はたまた、特にフロンターレがガンバのパスワークと攻撃のイマジネーションに対してボール際に行けなかったのか、、、そうでもなくてもフロンターレのこの中盤守備はヤバイ(よく使われるスゲェっていう意味でのヤバイじゃなくて、ごく普通にスカスカ…自動ドア…っていう意味でのヤバイ)っていうシロモノではありましたね。スペース管理の概念が無さそうだし、何人かの選手は割と運動量(移動距離)豊富でディフェンスに行こうとはしてるんだが、寄せ方もパスコースの切り方も全然だし。。。
元々フロンターレは、総得点はリーグ随一もしくは常にトップクラスだが総失点も多いという芸風だが(失点がガクンと減って優勝を重ねているのが近年…)その片鱗(?)というか伝統(?)というかルーツ(?)を十二分に感じさせる。
ま、いずれにしても、この2005年もしくは2004年~2006年当時のJリーグの試合をもう少し視てみたいものだ。当時はこれくらいのプレッシャー、ボディコンタクト、インテンシティ、デュエルだったのか、確認してみたいもの。
それにしても、この配信のゲストの大黒は明確で理知的で切れ味もなかなかよい喋り。こういう機会にもっとご登場願いたい気がする。選手をリタイヤしたら(御本人はどのような方面に進むつもりでいるのか存じないが)指導者にもなれるんじゃないか。
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