無知をさらす
昨夜、友達のお通夜がありました。
42歳、まだまだ楽しい事がこれからいくらでも
経験できる年齢でしたから、残念でした。
ただ人生は、どう捉えるかによります。
彼女はけっして、不幸だったとは思いません。
なによりも、愛情あふれる暖かい家族に見守られて
その時を迎えることができたのですし。
そう自分に言い聞かせても、その場で涙を止めることは
できませんでしたが。
ところでなな号、いままで家に入る前に、「清め塩」を
使った事がありません。
ポリシーがあっての事ではなく、単純に忘れてしまうからです。
今回はいっしょに参列した友達と、そんな話が出たので
めずらしく、家に入る前に塩を探しました。
でも、みつかりませんでした。
家に入ってから、もう一度確かめると、こんなものが
入っていました。
「清め塩」は、神道の習慣だったのですね。
そんな事も知らなかった、なな号です。
しかも、「清め塩」についてネットでしらべたら、
軽々しく話題にできないような、デリケートな
問題になっているようでした。
いい年齢になって「そうなのか....」と無知をさらす、なな号。
知ってよかったですが。
今まで頭のどこかで、「清めるって...どうして?」と
漠然と疑問に感じていたからです。
なぜその時、解明しなかったのかな...
なな号も、死を「穢れ」とは思えませんから、
その為でしたら、清めの塩はいらないと思います。
でも、「ケガレ」が「気枯れ」から来ていると言う
解釈(神道にその解釈があるらしい)で、悲しみのあまり
「気」が「枯れてしまう」という状態を、元の状態に
戻すために、塩を使うのなら、納得がいきます。
風習を軽んじるつもりはありませんが、意味も理解せず
行為だけを尊重するのは、無意味だと思います。
自分が納得していればそれで良いので、「清め塩」も
使いたければ使えばいいですよね。
いずれにせよ、一般的に神道と仏教が、さほど大きな問題も
起きずに共存する日本って、すごく不思議な国だなぁ。