ふたりの物語

深夜の出来事

(11月2日)
たった一度の誤飲で肺炎となり、10月31日深夜、夫はICUに移された。前々日、「化学療法はよく効いています」との報告を受け、ひと安心していた矢先のことで、11月1 日朝、I先生からそれを聞き、私は愕然とした。

抗がん剤治療は、今回の3クールめが最後の投与だった。肺炎を起こしたのは、投与3日めの深夜、嘔吐物を誤って飲んでしまったためだ。そのたった一瞬の出来事で、今は夫の口に鼻に首に腕に管が通され、また管だらけの苦痛から少しでも楽にしようとの配慮から、睡眠薬で眠らされていた。おとといの夜、夫と「あともうひとふんばり頑張ろう!」と励まし合い、にこやかに「またね」と言って別れたばかりだった。

巨人の4連勝日本一の話をしようと楽しみにしていたのに、投与終了後白血球が正常値に戻ったら何が食べたいか尋ねようと思っていたのに、小春日和の日には外気浴を始めようと考えていたのに、回復へのシナリオが見えはじめていたのに……。何で? どうして? なぜ彼にこれでもか、これでもかと試練を与えるのか。いつでも前向きに闘ってきたのに、神様はどこまで意地悪をするのだろう。

夫の姿は、手術後よりずっとずっと痛々しく、声をかけても反応がなく、切ない。病院は深夜になると、スタッフの数も少なく、きっと周りは眠っていたのだろう。夫はいつも優しく我慢強過ぎる人だった。自分が苦しくてたまらないのに、ナースコールを遠慮したのではないだろうか。だから肺炎になってしまったのではないか。もしかしたら、防げたものでは? と、素朴な疑問が沸く。

もしもこれが昼間に起こった出来事だったとしたら、きっと私は自分を責めただろう。なぜならその日は、たまには休みたいと、面会に行かなかった日の出来事だったからだ。「私が毎日行っていれば……」と、自分を責めただろう。誤飲は深夜に起きたということが、結局私は何もできなかった、とあきらめざるを得ないと自分を慰めたが、でもどうして? 2日前はあんなに元気だったじゃないか。疑問は消せない。

ICUに夫が運ばれて2日めの午後、本来の夫の病室、主が留守となった720号室に行った。誤飲が起きた時に勤務していた看護婦のNさんが、「深夜ストレッチャーで運ばれる時、ノートに何か書きたかったらしいんです。ペンを握らせましたが、目がおかしくなっていてうまく書けず、酸素マスクをはずそうとしたので、それはダメなのよと言ったんですが……」と、教えてくれた。
夫はいったい何をいいたかったのだろう。私に何かを伝えたかったのだろうか