ふたりの物語

保健室

(12月3日)
主治医から夫の余命はあと1〜2か月でしょう、との宣告を受けた。肺炎となって抗がん剤を使わないでいた間、たった1か月で腫瘍はものすごい速さで進行してしまっていた。残酷すぎる現実は、本当に我が身に降りかかっていることなのか……。

呼吸器につながれ声も出せないでいる夫……。 「もう夫の声は聞けないのでしょうか?」絶望の中でそう問いかけると、「明日にでもスピーチ管を使って、会話を試みてみましょう」となった。

翌朝、息子ふたりに「お父さんが声を出す練習をするから応援しに行こう!」と言い、学校を休ませた。「ウン!」と子供たちは、元気よくバッグにゲームやまんがを入れ、外出の支度をした。ふだんは学校を休むことをよく思わない子供たちだが、今日はすぐに納得した。

途中、川崎で姉夫婦や姪たちと合流。病室へ向かう途中、昼食にした。義兄の「何が食べたい?」の問いに「回転寿司!」。サビ抜きの皿はみるみる高くなる。「すごいなあ。たくさん食べられるようになったなぁ」と姉夫婦が感心して言った。私は元気な息子たちの姿に心で泣いた。夫の両親、ちづちゃんも病室に集まった。

当初の予定より1時間30分遅れての処置となる。「カオルさん、声を出してみて。あーうーって」と看護婦さんの声が聞こえる。少しは出ただろうか? どうぞと中へ通される。息子と私3人がベッド脇へ。「お父さん、ぼくの名前を呼んでー。ぼくの名前呼んでみてー。お父さん、お父さん」

<まぁ〜〜ス〜〜き。まあ〜〜ス〜〜きぃ><よぉ〜〜ス〜〜き。よぉ〜〜ス〜〜きぃ>

口ははっきりとふたりの名前を呼んでいたが、声が、声が届かなかった。1か月も何も食べず、管でつないでいる命。わずかに喉の奥の奥の奥から“き”だけ聞こえた気がした。

その夜、ようきが「今度はいつ病院行くの? 行かれるの?」と聞いてきた。そして翌朝「いい夢見たよ。お父さんの声が出るようになった夢だよ」と言う。「声出せるようになるかなぁ」私が弱気な声になってしまうと「大丈夫だよ。“き”は聞こえたもん!」子供に励まされ、病院へ行き、戻ってきた。すると、今日ようきは頭、まあきはお腹が痛いとふたりして保健室で1日過ごしたと知った。

自分の気持ちをうまく表現できない、まあきまでもが昨日の父親の姿で、心が病んでしまったからか? 心の痛みが頭痛や腹痛になって現れたのか。私の心もズキズキ痛くなった。

『ドラえもん』

(12月20日)
今時のまんがの内容は、あまりに現実的だったりする。リストラ、離婚、自殺などの言葉が出てきたり、IT、コンピュータウイルスなんて言葉まで出てきたりする。映像も何々進化〜〜〜!! などと頭が痛くなりそうな光の炸裂状態だったりして、息子と共に仕方なく見たりするが、どこが面白いのだろう? と不思議に感じ、見ていてとても疲れる。

そんな中、私が子供の時からなじんでいるロングランの『サザエさん』や、『ドラえもん』などは、子供たちと一緒に見ていても楽しめる。ジャイアン、スネオ、のび太の関係も、いつもはけなし合っているけど、いないと寂しいという仲間の絆や心を象徴しているように思うし、昔、こんな原っぱがあったよなー、と懐かしくさせられる場面がある。現代社会の流れと一緒に、今風に変えていないところがいい。

『クレヨンしんちゃん』は、内容が下品だから見せてない、という家を耳にしたことがあるけれど、私はそうは思わない。しんちゃんも親子そろって楽しめるまんがのひとつだと思う。親の気持ち、子の気持ち。それぞれを身近に感じ、うなずけるのだ。

11月14日。夫が1週間ほとんど眠っていた状態から、筆談ができるようになったその日。病室に入るとテーブルの上にバカボンのパパとニャロメの絵が載っていた。あれ? カオルくんが描いたの? うまいじゃん! 私たちの子供のころ、誰もがニャロメは描けたものだ。ケムンパスも……。

息子に、お父さんがバカボンのパパとニャロメの絵を描いていたよと伝えると、喜んでいた。ふだん息子たちとよく「タケコプターほしいよねー」とか、こんな時どこでもドアがあればねえ、などと言っている。「お母さんはスモールライトで小さくしてもらって、ふたりのポケットに入って一緒に学校へ行ってみたいな」と話したことがある。

ある日、息子が言った。
「ドラえもんがいたら、お父さんの病気治せるのに」と。