ふたりの物語

食欲1

(9月1日)
入院当初から夫は食欲があり、病院食を「けっこううまい!」と言って、きれいに食べていた。それだけでもかなり救われていた。一方、私は夫の入院当初から、かなりのあいだ食欲がなかった。

真夏は健康なときだって台所に立つのがいやになるのに、この心情では台所に立てず、パワーのつきそうな食事を作れずにいた。私は昔から精神的にショックなことがあると、すぐ食べられなくなる。だから、20代の若さで、仕事のストレスと恋の悩みで2度も胃潰瘍になってしまっている。

だが夫は、ショックで食べられないということはなさそうなのだ。手術後、2週間たっての病理の説明には、さすがの夫もひどく落胆していた。私は実は主治医からチラリチラリと聞いていたので、心構えができていたので「よし、がんばるぞ!」と気合が入ったのだが、入院後、あんなに落ち込んだ夫の姿を見たことがないほどションボリしていた。けれど、説明後の夕飯はほとんど平らげたのだ。私だったら食べられないはずだ。たとえショックでも、食べられたことはよいことなのだが、びっくりした。

その夫が、やはり抗がん剤投与の1週間は、嘔吐の繰り返しだった。水さえも怖くて飲めない状態だった。まったく手つかずの夫の食事を、私がかわりに食べることもあった。この病院は「奥さん、食べてくれていいわよ」と好意的なので、とにかく家で台所に立つのも億劫な私は、動物のように食べていた。それを夫はぼんやり眺めていて「みごとだなー!」と感心していた。

「投与前はみごとに食べていたでしょ。体調が戻ったら、またみごとになってヨ。気合だよ」
一度、2kg落ちた私の体重だったが、夫の嘔吐で2kg戻ってしまった。

食欲2

(9月2日)
新婚旅行のとき、私には、すでにお腹に2か月の赤ちゃんがいた。だが夫は、旅行を断念するストレスより、決行する危険を選んでしまった。夫は英会話も堪能で、海外にも慣れているし自信もあるようだった。産婦人科の先生も「旅行に耐えられない赤ちゃんなら、生まれてきませんよ。耐えられる赤ちゃんなら、きっと健康な赤ちゃんですよ。くれぐれも気をつけて」と、やさしい言葉をかけてくださった。

妊娠初期。空腹時になると気持ちが悪くなるという状態で、つねにおやつを持ち歩いていた。新婚旅行で最初に訪れたマレーシアでの朝食時。となりのテーブルの人が食べている玉子焼きがとてもおいしそうで、追加注文を夫に頼むと「そんなに食べられないよ」とオーダーをしてくれない。「食べられる!」と私。喧嘩腰でオーダーしてくれ、そして私はペロリと平らげた。

2か国目。ドイツのマクドナルドでは、ハンバーガー、サラダ、ポテト、ナゲット、アップルパイ……次々と注文しては平らげ、夫はあきれていた。

3か国目。モロッコ。カサブランカから港町タンジールへ向かう列車は長旅だった。しっかり朝食をとってはいたが、心配でパンを買って乗ることにした。夫はいらない、と言った。車窓は広大な土地。ヤギなどが見られ、遠くに来たことを実感させられていた。いよいよ私の間食の時間。パンを出して食べ始めると、夫が「少しちょうだい」と言いだした。「えっ!? いらないって言ったじゃない」「少しだよ」今の私は一口だってあげることはできない。意地でもあげない。夫は怒ってあきらめた。「なんで怒るのよ! この旅行で何度も私の食欲にあきれていたじゃないの!」その喧嘩ですてきな車窓が涙でいっぱいになった。

4か国目のスペイン・マドリード。観光バスに乗る前、たらふく食事をし、マクドナルドのアップルパイを買って乗り込み、途中で食べていると、慣れてもよさそうなのに、また夫はあきれていた。その晩、食事をして宿に戻るとき、ミニクロワッサンが6個ほど入った袋を買って、深夜つまんだ。

朝。「夜中に何かしていた?」「うん、クロワッサンを食べてた」
夫は、本当に本当にあきれていた。

病院食を食べている私を見つめている、夫の姿を見て、そんな新婚旅行のときを思い出した。