栄光なき天才たち…

先週フジテレビで放送された番組。録画しておいたものを、ようやく昨日視ましたよ。もちろん財前宣之氏のパート。なかなかよく作ってましたね。中田英寿の映像(および出演)も結構ふんだんにフィーチャーして。上手く作ってましたね。ネスタとのエピソードとか、スペインのログロニェスで当時の監督にウチには財前がいる…と言わしめたこととか、だいぶ端折っていたりしたが。

まぁね、何度もウルウルしましたよ。特にベガルタ仙台をJ1昇格させた京都での試合とか。
その昔の連載コラム(2001年)に書いた一部分を転載しますが(めちゃダサい文章なので、実に恥ずかしいけども、、、2002年のワールドカップ開催に向けた、いわば初心者の方向けのコラムなんで)…

(前略)
もうロスタイム、残り時間はわずか数分でしょう。その時、左サイドでボールをキープした岩本輝雄(元日本代表)が、相手ディフェンダーを目の前にしながら、フワリとしたロビングを送ります。そのボールに、ゴール前やや右寄りでヘディングで飛びつき前へ送ったのが山田隆裕(元日本代表)、そのボールに飛び込んでダイレクトボレーを合わせたのがNo.10の財前宣之(1993年のU-17ワールドユース選手権の日本代表のNo.10で、大会ベストイレブン)。仙台が、ついに京都ゴールをこじ開けました。そして試合終了のホイッスル。またまた今年も、劇的な展開で、ベガルタ仙台が逆転昇格を決めたのでした。
(中略)
京都VS仙台の試合終了後、財前のインタビューを聞いていて、私は目頭が熱くなりました。
1993年のU-17ワールドユース選手権の日本代表(U-17日本代表)には、現在の日本代表の中心選手、中田英寿(パルマ)や松田直樹(横浜F・マリノス)などもいましたが、財前のチームといっても過言のないチームでした。ベスト8で敗退したにもかかわらず、大会のベスト11にも選ばれたことが、それを象徴しています。その後、財前は幾度ものケガに苦しめられ、スポットライトを浴びる場所から遠ざかり、所属チームも海外を含めて転々とし、数年前から仙台でプレーしているのでした。「仙台に来てよかったです」と言った財前に、「よかったなあ、財前」と声をかけたくなったのでした。
(後略)

現在、財前氏は仙台で自分でフットボール教室を開講している。子どもたちの中には、かつての自身を彷彿させる子どもも居るそうだ。昔の財前じゃないか…プロになったらそうは行かないんだよって教えてあげたい、、、みたいなことを、財前氏は笑いながら語っていたが、それって全国各地の指導者に伝えたいくらい意味のある(ある意味で重い)言葉ではないか。それと、財前氏がユース年代だった頃の指導がね、いろいろ思うところもある。やっぱり当時はあらゆる面で、フットボール後進国だったんだよな。
それから中田英寿氏も、現役自体の自身のプレー、財前氏とともにプレーしていたユース(U-17日本代表)当時の自身のプレーぶり、プレースタイルを語っていたのも興味深い。技術的には明確に劣っていることを認識し、そこで自分が生きるプレーや役割を考え実行したと。中田英寿のプレーって、そうだったでしょ。なんかファンタジスタと勘違いしてる(そうアピールしたい)向きがイタリアでプレーした頃からやたら多かったけど。根幹的には、いわゆるフットボール用語で言う「労働者タイプ」ですよ。
いずれにしましても、実にオツな約40分間でした。

以下、近年の財前選手に関わる主なエントリー。
http://www.ladyweb.org/people/koh/blog/index.php?e=1537
http://www.ladyweb.org/people/koh/blog/index.php?e=595
http://www.ladyweb.org/people/koh/blog/index.php?e=347

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