1999年のJリーグ「チャンピオンシップ」第2戦、清水エスパルスVSジュビロ磐田。

昨夜NHK-BSで放送された1999年のJリーグ「チャンピオンシップ」第2戦。この試合は延長戦にもつれ込み、PK戦もあったという長い時間で、110分の放送枠しかないので相当カットするのは織り込み済みではあったが、後半の放送が始まっていきなりドーンと(後半の終盤へ)ワープしたのには、驚いたというより苦笑した。
試合内容としてはイイ試合。熱もたいへん高く。毎度、いつもこれくらいの熱でやってくれと…とフト思ったりするが。
試合会場の日本平スタジアムはキャパ2万ちょうどくらいだが、まさにスシヅメ状態だったのを記憶している。

この試合は私は仕事で映像編集しているスケジュールの日で、映像編集現場でTV放送を視聴したことを覚えている。
この年は清水エスパルスが好調で、年間獲得勝点はだいぶ大差を付けて(調べてみたら7ポイント差)のトップ。結果としてジュビロ磐田が「年間チャンピオン」になるんだが、ジュビロは年間獲得勝点順位で言うと6位(それも7位とは同勝点、得失点差で言って6位)でしたね。ちなみにジュビロは1stステージ優勝、清水エスパルスは1stステージはトップのジュビロに勝点差4の3位。
そういうわけで、2ステージ制の年間獲得勝点トップが「年間チャンピオン」になれない(しかも、年間獲得勝点で相当見劣りするクラブ「年間チャンピオン」になる)っていうのはオカシイ…という声も強くなり、2ステージ制で「チャンピオンシップ」があっても、年間総勝点を重視する方向に進んで行ったりするわけでした。
ということで、年間を通じて好調なエスパルスが特長であるサイド攻撃でジュビロ陣内に攻め込むが、第1戦で延長Vゴールで勝っているジュビロは際どい防戦の場面もあるがゴールを許さず、そうこうしているとエスパルスの中盤にスペースができ秩序が失われて、ジュビロがまんまとサイドからの折り返しに中央からゴラッソなミドルを叩き込んで先制。
その直後にエスパルスのアレックスが一発レッドで退場になり、さらのその直後に(再開となったフリーキック)を澤登が直接突き刺すゴラッソで同点、、、というシビレル展開。
エスパルスは攻撃力は高いんだが、まぁこの試合では1stレグを落としていることによるものもあったかもしれないが、中盤の構成力、組織力が高くなく、最終ラインで個人能力で守っている感じとなっていた。この頃から日本人選手は中盤にイイ選手が多いという評価・評判は国際的に確立されていたところで、そんな状況でこの中盤の構成力だったっていう点に、あらためてやや意外な感も持ったかな。
ジュビロの方は前々年、前年と続けて「チャンピオンシップ」を戦っている経験力があったかも。また、エスパルスの強力なサイドに対して、後半や延長戦になるとジュビロの方もサイドからのクロスボールが多かった(それが決定的なシーンになっていたり)っていうあたりも、興味深かった。
ま、両チームとも、崩してゴール正面でフリーのフォワードが決め損なう、、、っていうシーンが幾つもあったけどね。
というわけで、この試合は1-1で延長戦となり、エスパルスが(ジュビロの守備網の中央をスパッと通した縦パスから)とうとう「Vゴール」を決めて2-1で勝利。んで、1勝1敗となり、合計得点も同じ(2戦ともVゴールでの同スコア)となったため、、、試合続行はせず即座にPK戦、、、という今思えば摩訶不思議なレギュレーション。

1993年のJリーグを観た後だと、選手の技術や戦術眼も明らかに向上していることが見て取れ、ただまだ選手間にバラツキも多いが、チームとしての戦術性、戦略性も見て取れ、1993年より確実に日本のフットボール、Jリーグの進化・発展は見て取ることができた。
そんな1999年の「チャンピオンシップ」第2戦だったかと。

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