2000年10月8日、アジアカップ直前のテストマッチ。

J SPORTS で放送された2000年10月8日、フランス・パリのパルク・デ・フランスで行われたパリ・サンジェルマンとのテストマッチの件を。
この試合は、1999年のU-20ワールドユース(現在のU-20ワールドカップ)準優勝、シドニー・オリンピック予選、2000年9月のシドニー・オリンピックを経て、U-23やU-20の選手たちを融合して参戦するアジアカップ(2000年10月、レバノン開催)に向けての壮行試合。
ぶっちゃけ、なかなかに出来上がってきたトルシエ氏のシステムがあらためて見られ、当時、一行はこのパリでの壮行試合を経て、そのままレバノンへ乗り込んだという次第。

スタメンは、ゴールキーパーが川口、フラット3は右から中澤、森岡、松田、中盤センターは名波と稲本、その前に森島、右ウイングバックが明神、左ウイングバックが服部、2トップが西澤と高原。名波は稲本と並んだ形というより、森島ほどではないが高めにポジションを取り、3-3-2-2と見える形かと。
前半、名波が中央やや左の位置でボールを受け、タイミングを計って、わずかなタメから逆サイドへ振ったボールに森島がワンタッチでスライディングシュートを叩き込んで先制。見事なゴール。
相手のパリ・サンジェルマンは、ま、インターナショナルマッチ・ウイーク期間中だし、ぶっちゃけ一線級は不在だが、それでも高い位置でボールを奪いショートカウンターを何度も仕掛けるなど、いいパフォーマンス。まぁ、そこから先、ファイナルサードでの技術やアイディアや威力が足りないけどね。
後半、ゴールキーパーを下田に替えるとともに、中澤に替えて中村俊輔を投入して左ウイングバックに入れ、服部がフラット3の左に(松田は右に)入る。
その後も、森島に替えて小野伸二を、西澤に替えて柳沢を、高原に替えて久保竜彦を、明神に替えて望月、名波に替えて三浦淳宏を投入してテストラン。いま見てもたいへん魅力的な選手バリエーションですなぁ。
久保竜彦は相変わらずダイナミックなプレーの片りんを見せ、中村俊輔のパスから抜け出して相手ゴールキーパーが出てきたところを右足アウト(?)でゴール隅へ送り込もうとしたが残念ながら左ポストに。効き足でない右足だったとはいえ、アウトにかかっておりませんでしたがな。。。むしろ右回転しないで左へ回転してたような。。。

そんなこんなありますが、とても魅力的な2000年アジアカップ直前の日本代表チームであったかと。
そのアジアカップは、ご存じのとおりブッチ切りの強さで優勝。初戦はサウジアラビアとの対戦だったんだが4ゴール、次のウズベキスタンとの対戦でも8ゴールと、見ているこっちがビックリしたくらいだった(笑)

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