2003年6月8日、大阪でのアルゼンチン戦。
2020.04.17
「JFA.TV」でのフルマッチ配信。
2003年6月といえば、「キンリンカップ」2戦を戦って(アルゼンチンとパラグアイ)続いてフランスで開催されたコンフェデレーションズカップ(この頃はまだコンフェデは2年おき開催)に出場、という状況。
アルゼンチンとは前年(2001年)11月にも埼玉スタジアムで戦っており、短期間で2度めの対戦になった。
この時の日本代表の監督はジーコ氏。
ちなみにアルゼンチン代表の監督は(日本代の監督待望論も長らく結構多かった)ビエルサ氏。
スタメンはゴールキーパーが楢崎、センターバックが秋田と森岡、右サイドバックが名良橋、左サイドバックが服部、中盤は中田英寿、小笠原、稲本、中田浩二、2トップに中山と鈴木隆行。ジーコ監督のチームの基本である4-4-2だが、この試合では守備時には小笠原と稲本と中田浩二が3センター(3ボランチ)になる4-3-1-2の形、攻撃(ビルドアップ)では小笠原と中田浩二が中盤サイドで高い位置を取り、稲本がアンカーの位置を取る4-1-3-2の形になるシステムをめざしていたのかな。
アルゼンチンは手抜き(?)をせずガンガン来てくれるので、とてもありがたい相手。この試合でもキックオフ直後からガンガン速い攻撃を仕掛けてきて、日本チームも果敢に応戦。押し返してアルゼンチン陣内へ攻め込むものの、決定的なシーンは作れず。
ハイテンポの攻防も技術と個人戦術眼に優れるアルゼンチンが押し込むようになり、日本の中盤3枚は(言ってしまえば)あたふた感。とうとう30分に左サイドからドリブリングで日本のディフェンス網をゆさぶり、中央へマイナスのグラウンダーのパス、、、これをペナルティエリア外からサビオラが巧みにゴール右隅へ送り込んで先制。続いてアルゼンチン陣内でロストいたボールをハイフウエイライン10メートルほど手前からサネッティが猛然とドリブリング、、、誰も止められず、サネッティはワンツーリターンをこれまたペナルティエリア外から豪快にゴラッソを叩き込んで2失点。これはサネッティの超絶プレーというべきで止めようもなかったが、それでも日本のディフェンスはもうちょっと何かできんもんかね…というところか。
日本は後半頭から中山、小笠原、中田浩二に替えて、大久保、福西、アレックス(三都主)を投入。2トップは鈴木隆行と大久保に、中盤は稲本、福西をセンターに、中田英寿とアレックスが前という従来のスクエアの形にしたが、さらに2失点食らい、日本は秋田のセットプレーからのヘッドのゴールのみで1-4で敗戦。
この試合で試した折角の新システムも付け焼刃というか、どこまで練っていたものかが見えず感じられず、結局は個々の力量や戦術力に委ねてる的な印象はもってしまったんだが(その部分でもまだまだ当時の日本選手たちではアルゼンチンの選手たちと比較すると明らかに分が悪い…)それもジーコ氏のマネジメントに対する先入観だろうか。ま、ナショナルチームは寄せ集めで少ない時間で試合に臨まなくてはならないわけだが、そこでも如何にシステムや戦術を落とし込むか稼働させるかっていう手腕が求められる。セレクション型と表される(括られる)タイプもあるけどね。
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